タゴール氏(文学賞)
本名ラビンドラナース・タゴール。1861年、カルカッタで14人兄弟の末っ子として生まれた彼は、普通の学校教育を放棄しました。そして、カースト改革運動をしていた父に家庭内で英才教育を受け、なんと、8歳で抒情詩を作ったと言われています。16歳のとき、ケンブリッジ大学に入学し1883年に結婚しました。1880年代に多くの詩集を出版した彼は、1890年に詩集「マーナシー」を出版。この作品はタゴールの才能の真髄が載ったといわれており、これまでの詩にない形式であると絶賛されました。

思想家でもあり、哲学者でもあり、画家でもあったタゴールは、ベンガル語英語で作品を書き、1910年、宗教詩中心の詩集「ギタンジャリ」を発表します。1912年の渡英時に自ら翻訳した英語版を刊行し、この作品により、1913年アジア人として初のノーベル賞を受賞します。その後1915年ナイトの称号をイギリス王室から授与されますが、1914年のアムリットサル虐殺事件(インドの広場でイギリスの軍隊が祭典をしているインドの民衆に発砲した事件。死傷者379人の大惨事にも関わらずマスコミへの情報規制によって報道されることはなかった)に抗議し1919年称号を辞退しました。

タゴールは、インドの父と呼ばれるガンジー等とも親交が深くかった彼は、晩年病に苦しみながらも世界大戦の惨事や、独立運動に対する英国の弾圧に抗議し続け、1941年生地カルカッタにて死去しました。80歳の時でした。

1901年、インドと西欧文化の融和を求め野外学校を設立。この学校が、後にインドの国立大学となるビシバ=バーラティになりました。タゴール氏はインド文学において、「師」であり、彼の作った学校の設立地は、いまや「巡礼地」となっています。彼こそインドの魂であったといえるでしょう。ちなみにインドの国歌はタゴールの詩です。

タゴールの詩(一部)
[朝の光が、私の目にあふれるこれこそは私の心に宛てたあなたの音信。あなたの顔が、天の高みからのぞきこみ、あなたの目は、私の目をじっと見下ろしている、そうして私の心はあなた御足に触れていた。

森本達雄訳 第三文明社 「ギタンジャリ」より