| チャーチル氏(文学賞) | |
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イギリスではノーベル文学賞を受けた首相は彼だけです。彼の首相としての功績は、第二次大戦を勝利に導いたところにあります。そのとき66歳。6年間戦争を指揮し、勝利に導きました。これに関しては、彼自身の名著「第二次大戦回顧録」に詳しく書いてあります。 |
| チャーチルの生涯 | |
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チャーチル家の初代のモールバラ公爵は戦争指揮能力は一級であり、その血は後のチャーチルにも受け継がれたようです。首相になる前は、軍人としてボーア戦争を戦い、後に政界入りし植民次官、商務総裁、内相を歴任。海軍大臣だったときに、ダーダネルス海峡攻撃の失敗を持って辞任。のちに軍需相になります。大蔵大臣も担当するが、1929年に内閣総辞職から以後、閣外でナチスの脅威を警告し軍備増強を訴え続けました。 その後第二次大戦を経て、51年から四年間もう一度国政を担いました。しかし80歳のとき、首相を引退し、その十年後1965年1月24日、チャーチルは自宅で最後の時を迎えます。葬儀はエリザベス二世現女王臨席の中(女王が臣下の葬儀に参列した例は始めてのこと)行われ、彼はオクスフォード郊外のブレイドン墓地に埋葬されました。 彼はしばし人を食ったような発言や、類まれなユーモアと皮肉を持って人と話ました。弁舌は一級だったといわれています。ソ連の脅威にいち早く勘付き、警告した名言「鉄のカーテン」をはじめ、チャーチルの演説は華麗なレトリックを駆使したものでありましたが、当然即興ではなく、事前に準備されたものです。ヒトラーのような即興の弁の才能ではなく、彼の文章力による弁才だったといえるでしょう。 |
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| チャーチル有名な言葉 | |
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ある日、ジョーク;アスター子爵婦人が、彼に「あなたが私の夫だったら、コーヒーに毒を入れますわよ」といった時、彼は、「あなたが私の妻だったら、それを飲むでしょうな」と答えた。 首相就任に当たり、議会で行った最初の演説「私に提供できるものは、血と労苦と涙と汗だけである。そしてわれわれの政策が何かと問われるのなら、こう答えたい。それは陸海空で全力を挙げ、神の与え下さる力の限りを尽くし、この戦争を戦い抜くことである」 大戦中ラジオを通じ、イギリス本土防衛に向け国民に訴えた演説 「われわれは心を引き締めて自らの義務を果たし、もしイギリスとその連邦が千年つづいたら、人々が次のように言うように振舞おうではないか。『これこそ彼らのもっとも輝かしきときであった』と。」 |
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