A・ノーベルの歴史

A・ノーベルは、1833年10月21日ストックホルム市で発明家イマヌエルの三男として生まれ、1842年ノーベルは、ペテルブルクの離れ離れだった父の元へ家族と共に移住します。このころ家庭教師がつき、ノーベルはロシア語、フランス語、英語、ドイツ語を習得していきます。同52年には、ほかの欧米諸国に留学し、各国の見聞を広めました。 その後父の工場で働き始めますが、59年工場が倒産し、そのためストックホルムに帰郷します。当時、世界の産業は発展の為に安全な爆薬が必要不可欠でした、そこに目をつけた彼は、安全な爆薬の研究に取り掛かかります。彼は68年に、これまでわずかな衝撃で爆発してしまっていた「ニトログリセリン」を珪藻土にしみこませることで問題を解決し、87年「ダイナマイト(混合無煙火薬)」の特許をとりました。そして、アメリカやイギリスなど世界各国で特許をとります。それにより、すでに86年に「ノーベル・ダイナマイト・トラスト」を設立していた彼は巨万の富を手に入れます。しかし、彼はこの研究の間に末の弟を爆発事故で亡くす、という不幸に見舞われます。ノーベル自身ダイナマイトの戦争利用を考えていた節はあります(事実「死の商人」といわれたこともありました。)が、晩年彼はダイナマイトの戦争利用に強く反対しています。また、彼はダイナマイト以外にも色々な発明をしており、数多くの特許をとっています。 このダイナマイト等の収入により彼は莫大な財産を築き、ノーベル賞設立の遺言を残し、心臓病と脳梗塞のため(皮肉にも「ニトログリセリン」を使っていた)、1896年12月10日亡くなりました。(墓はイタリアのサン・レモにあります。)