**BROTHERについて




 英語を勉強しはじめた頃、broteherという単語の訳出に苦しんだことはありませんか ?弟なのか、兄なのか、それとも兄弟か。お兄ちゃんか、それとも兄貴か。
 そのうちに、この言語の違いというものは、文化の違いのあらわれであることに気づくようになるでしょう。すなわち、英語圏では、兄か弟かということはたいした違いではないので、一緒の単語となり、日本では家長制度の名残か、長男か、次男かで役割どころか一生まで違ってくるので、当然二つを区別するわけです。
 しかし、本当にそうでしょうか。言語は文化のあらわれにすぎないのでしょうか。よく考えてみると、私たちは生まれた瞬間に、文化を知って言葉を使うかといえば、そうではありません。自分の下に男の子が生まれた時、わたしたちは、まず「お兄ちゃん」になり、目の前にいるこの子供は「弟」であるのです。その結果、私たちはお兄ちゃんと呼ばれ、しっかりしなければいけなくなり、弟はお兄ちゃんの言うことを聞かなければいけなくなるのではないでしょうか。
 考えてみれば、当の昔に、長男が家を継ぐという家長制度は崩壊していますが、お兄ちゃんがしっかりし、弟は言うことを聞くという価値観はなかなか消えていきません。日本語に、兄と弟がある限り、英語圏のような兄弟関係にはならないのかもしれません。
 このように言語は、私たちの無意識を支配しているとさえ言えるでしょう。言語の認識は無意識の発見にも匹敵すると言われるのです。私たちは言語がなければ、この世界を認識することさえできないのです。言語を使って、いろいろなものを差異化、分節化し、認識しているのです。言語によって私たちは文化を成り立たせることができるのです。