人間と言語



  三 感情論

 感情は、言語的認識ととても強い繋がりがあります
 例えば、『嬉しい』という感情が『嬉しい』となっているのはどうしてなのでしょう? 傍から見れば、それは行動の一部でしかありえない筈です。動物の場合の『怒る』は、その行動によって何かを示す物として使われています。
 しかし、ここで言語というモノがあると。
 多くの人間を見ていくと、似たような行動を起こす事があります。そして、その行動が起こった時に『嬉しそう』『怒っている』と数人が口にするだけでも、それは『嬉しそう』『怒っている』という『感情』になります。
 これが、共同化=共同幻想と言われる事であります
 本当は『嬉しい』という感情、というのは無い筈なのですが、お互いそれぞれが、どんな場合・状況等などの情報を蓄えていく事によって『嬉しい』というモノが出来上がってくるのです。
 (経験をまだまだ積んでいない赤ちゃんにとっては、例えば第三者から見てお母さんが自分に『怒っている』時でも、その行動から発せられる物音や声などに怯えている――そのお母さんの行動が、本能的な感情衝動(この場合は、その第三者から見ると『悲しい』系の感情の場合が多い)に火をつけたことにより起こります。つまり、お母さんの行動は、行動によって赤ちゃんに何かを示している――動物的な行動として受け取られているのです