新選組四番隊組長 松原 忠司
名前 松原忠司。はじめは小太郎といったそうだ。
生まれ 播州小野出身。(永倉新八の記録によると大阪浪士)年齢不明。
家族 不明。
まだまだ矛盾が多いし謎だらけな人物である。最初の募集により、参加する。副長助勤、四番隊長。池田屋事件にも参戦しており、十五両の褒賞金を賜っている。
文久三年八月の政変では、坊主頭に白鉢巻をし、大長刀を担ぎ、仙洞御所前や禁裏御所南門の警備にあたって「今弁慶」の異名をとったと伝えられている。
壬生村では、親切者は「山南と松原」と言われるだけあり、隊士にも優しかった。松原の最後は不可解な点が多い。慶応元年九月一日壬生天神横丁の裏長屋で安西某なる未亡人と心中したという記述もあるが、真実かどうかは分からない。