流星観測の歴史


※大火球 A.D.1000 木版画
古代の人と流星について

 地球上の人類で一番最初に流星を見たのは、どこのだれだったのか、

 また、それはいつだったのでしょうか?

 この質問に答えるのは難しいです。

 おそらく、今から何万年も、あるいは、何十万年も前に、

 自然のままの生活から離れて、原始人類がわずかとはいえ、

 初期の文化を築いていった時代にも、

 流星は、時に夜空を切ってその光を投げていたに違いありません。

 したがって、人類が発生したときにはもう、人類は流れ星を見ていたと予想ができるのです。

 このwebを作成する私たちが考えるには、

 現代とは違い電気もガスもない時代に生きていた人々なら、

 きっとよく流星を目にしていたのではないのだろうかということです。

 それは、我々が流星観測をするときには、暗いところ、光のないところ、また月のない日を

 求めていくからです。

 そう、空が暗い方が、星がよくみえますよね。

 しかし、ある一冊の本は、こう言っています。


 これら原始時代の人々は、流れ星をたまたま視界にとらえることはあっても、
 ほとんど気にとめることはなかった。
 彼らにとっては、その日その日を生き抜くことに精一杯だったであろうし、
 また言ってみれば、世界のすべてが神秘に満ちているのであって、
 取り立てて流星だけが不思議なものとして印象づけられるわけではなかったからである。



 なるほど、そのような考え方も出来ますよね。



大流星雨は神の怒り?
 

 それでも、長い原始の時代にあって、それら初期の人類が、

 時によっては著しく明るい流れ星を目撃したり、

 また激しい音とともに隕石が落下するという事件に

 出会うこともあったのではないでしょうか。

 あるいは、現在では想像もつかないような大流星雨に

 ぶつかることもあったかもしれません。

 このような特別な場合には、むしろ神の怒りにふれたことを恐れおののき、

 もとの平和をとりもどせるようにただ祈るのみで、

 その不思議さの真の原因を知ろうと考えることはなかったと思われます。

 そんなわけで、最近のように、流星を見たら瞬時に願い事を3回唱えると言った風習は、

 ここ2〜3百年であるかのように思われます。

 また、科学の目が流星にまで向けられるようになったのは、18世紀末のことでした。

 科学研究の第一歩は、現象を出来るだけ数量的に表そうとする事でした。

 近年のノーベル賞受賞研究の中に、

 ニュートリノというものの質量を数で表そうとしたりということがありました。

 それも、その分野においての第一歩だと言えるのです。

 流星について、まず数値化を目指されたのは、その高さでした。

 1798年、ドイツの若き学生、ハイリンヒ・ブランデスとヨハン・ベンツェンベルグの二人は、

 同じ流星を違った二地点からみて、その高さを定めました。

 そんな研究が始まって、まだ200年ほど…。

 まだまだ、流星分野の研究は取り残された課題ばかり。

 ぜひ、このサイトを見て、流星に興味を持って、

 「よし、僕・私が流星博士になってやる!」と、少しでも考えるひとがいれば幸いです。
 

1883年フランス大火球の絵。
本ページの絵は 長沢 工「流星にむかう」より