日本人の癒し・・・「畳」の世界!!

日本人の癒(いや)しの空間、畳(たたみ)の部屋・・・その畳(たたみ)はいつ頃からあったのでしょうか。

畳(たたみ)は何と縄文時代から存在していました。もともとの畳(たたみ)は「席(むしろ)」を何枚か重ねたものでした。「たたみ」という言葉自体は「たくさん積み重ねる」などの意味です。
平安時代には、その形は今と違って、座る場所に敷(し)いたり、寝る場所に敷(し)いたりする、座具(ざぐ)、寝具(しんぐ)として使われていました。

畳(たたみ)は乾燥させた稲わらを麻糸(あさいと)で縫(ぬ)いかためた「畳床(たたみどこ)」の上に、イグサを編(あ)んで作った「畳表(たたみおもて)」を縫(ぬ)い付けて、その後に畳(たたみ)の長い辺の方に「縁(へり)」をつけて作ります。

その大きさは地域差がありますが、1.8m×0.9m程度です。関西の方が少し大きめです。大きさの単位のように「この部屋は○畳ある」といったりしますが、それぞれの地域で畳の大きさはばらばらなので、「畳(じょう)」という単語は大まかな大きさを示す言葉のようですね。

平安時代は、座具、寝具として使われていましたが、この時の畳(たたみ)には特徴があります。
畳(たたみ)の縁(へり)の模様(もよう)、色によって、利用する人の階級などを示していたのです。
天皇・皇后→繧繝縁(うんげんべり)。大臣→大紋の高麗縁(こうらいべり)。公卿→小紋の高麗縁。五位以下→模様なし紫縁。六位→模様なし黄縁。
例えば「百人一首(ひゃくにんいっしゅ)」にえがかれている人物の下に敷(し)いてあるのが、当時の畳(たたみ)です。それぞれ階級によって色が違っているのが良く分ります。

現在のように床材として使われ出したのは、平安末だと思われ、庶民(しょみん)の家庭に普及したのは江戸時代に入ってからです。

現在では洋式住宅の普及に伴(ともな)って、畳(たたみ)のない家も増えていますが、「和洋折衷(わようせっちゅう)」などの家もまだまだあり、畳(たたみ)の部屋の人気は衰えていないと思います。最近では「床の間(とこのま)」などもその魅力(みりょく)が見なおされているようです。

ヒトコトメモ&カンソウ[担当:マチコ]

今でも人気の畳(たたみ)。新しい畳(たたみ)の香りなども心がとても落ち着きますね。いろいろな生活面で西洋化が進んでいるとは言え、家というものは自分たちが落ち着く場所ですから、やはり伝統的なものが自然に残っているのでしょうね。
しかし縄文時代からあったとは!!煤i ̄□ ̄;)驚きです。
私も畳部屋の床の間に、自分で書いた書道作品を飾って、ゆっくりお茶を飲みながら和菓子(わがし)を食べるのが夢だったり…(笑)
マチコ

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