月とともに歩んだ「時間」・・・☆

昔は「旧暦(きゅうれき)」と言って、今とは違う時間の基準(きじゅん)がありました。古代から明治時代初期まで、日本の暦は「陰暦(いんれき)」でした。これは「月」の動きを基準にした暦で、1ヶ月が29日〜30日で、1年は12ヶ月でした。
現在使われているのは「陽暦(ようれき)(太陽暦ともいう)」で、「太陽」の動きを基準にしています。地球が太陽を一周する期間を1年としています。陰暦と陽暦の差は1ヶ月くらいで、陰暦の方が陽暦よりも遅(おそ)くなっています。
陽暦の月は1月、2月・・・と数えますが、陰暦だったころは、特にその時期にあった名が付けられていました。

1月は年の初めで「正月(しょうがつ)」と呼ばれた他、人々が年の始めに訪問(ほうもん)し合って睦(むつ)み合うことから、「睦月(むつき)」と呼ばれました。4月(現在5月)は卯(う)の花が咲くことから「卯月(うづき)」と呼ばれ、6月(現在の7月)は、夏の日照りで水田の水が枯(か)れてしまうことから「水無月(みなづき)」となりました。また10月は全ての神が出雲大社(いずもたいしゃ)に集まり、各地から神がいなくなってしまうということで「神無月(かんなづき)」と名づけられたといわれています。

細かい時刻(じこく)のほうも、昔は今と違っていました。 日本で時刻が制定されたのは、奈良時代の天智天皇(てんちてんのう)が水時計を設置した時らしいのですが、詳しい事はわかっていません。その後、平安時代には時刻が制定され、1日を12等分し、更にそれぞれ4等分しました。
江戸時代に入ると、今の2時間を一刻(いっこく)として、十二支を割り当てて呼びました。江戸時代には時刻を知らせるために、太鼓や鐘を使いました。

江戸時代に使われた、時間から生まれた言葉は今でも残っています。「正午」というのは真昼の12時が「午(うま)」の刻だったために「正午」と言われます。また「おやつ」と言うのは、1時〜3時を「八ツ(やつ)」と呼んでいたので、その時間帯に江戸で食べたものを「お八ツ(おやつ)」というようになりました。


昔の時間と今の時間
時間表

昔の月の呼び方
月の呼び方

ヒトコトメモ&カンソウ[担当:かな]
陰暦(いんれき)で呼ばれていた睦月(むつき)や卯月(うづき)などは、それぞれの月の季節感を表していたのに、現在使われている陽暦(ようれき)は1、2、3月などの番号になっていて、温(あたた)かみがないような気がしてさみしいですね。でも月よりも太陽を基準にしたほうが、気分的に明るくなりそうです。
かな

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