享保・文化の時代


享保(1716〜1736)、文化(1804〜1818)
享保の改革や田沼の政治、寛政の改革などが行われた不安定な時期。
享保の飢饉や天明の飢饉などもおこって食料には非常に苦しんだんだ。
百姓たちは立ち上がり、一揆をおこしたり、打ちこわしもたくさん起こったんだよ。

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60キロってどのくらい?


60キロっていうとだいたい北海道と青森県をつなぐ「青函トンネル」と同じくらいなんだ。
地図を開いて調べてみよう。
君の家からはどのくらいかな?

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年貢の苦しみって?その1


 江戸時代の初めに慶長の検地っていうのが行われたんだ。それ以来検地は何回も行われているんだけど、検地っていうのは、耕地面積を測って記録しておく。この記録とその年の気象状態などから米の取れ高を計算する。それが石高。石高のうちのいくらかを年貢として納めるんだ。一番一般的だったのは4公6民っていって、年貢を石高の40%にする方法。
さて、この地域ではこんな検地の記録が残っている。
耕地面積 17町2反1畝1歩
うち、田   3町  9畝
出作     1町2反9畝
石高は205石1斗9升。このうち40%を納めると残りは約123石。
1人あたり1石2斗位食べるので120人分くらいの食料しかない。
この頃百姓の家が59戸あったので、1家族6人として354人。
いかに苦しかったかがわかるよね。

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年貢の苦しみって?その2


年貢は江戸時代の中ごろまで米で払うのが一般的だったんだ。飢饉なんかで米が取れない時は、栄えている上方も米がない。だから米でしか納めることができなかったんだ。
この地域は田が作りにくい地域だから他の農作物や、お金で納めることができればもう少し楽な生活ができたんだろうね。

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水利が悪いとどうしてだめなの?


米作りに水は欠かせないものなんだ。田んぼで米を作っているのを見たことがあるかな?田植えの時なんかは水びたしだよね。
今はポンプなんかがあるから水をとってくることはできるけど、昔はそうもいかなかった。だから、水がないと田んぼじゃなく畑にするしかなかったんだ。
地図で米がたくさんとれるところを見てみよう。そばに大きな川がきっと流れているよ。

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幕府直轄地ってなに?


江戸時代、幕府は治めるために親藩(徳川家の親類)・譜代(関が原の戦い以前に徳川に使えていた武将)を中心部に、外様(関が原の戦い以降に使えた武将)を辺境に移動させたのは知っているかな?
三河は家康が生まれた土地で、幕府が直接治めていたんだ。しかし、幕府が治めていたということは、他の武将がいるわけではないのでやりたい放題。農民が困ったところで問題はない。農民はそれこそ米作りマシーンとして見られていたんだろうね。

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疲労がどうして大きいの?


イノシシっていつ出てくるんだろう?人間が働いている昼間は出てこないよね?
当然夜中に出てくる。ということは誰かが起きていないといけない。
しかも、夜だからよく見えないよね。じーっと見て、気を張り詰めているだけでたいへんだよね。普段の農作物の世話もしなきゃいけないし、、、。
考えただけでこっちがつかれちゃいそうだね。

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壁で中に入れないようにする、といえば。


ピンときた人もいるのでは?そう、万里の長城ににてるよね。
万里の長城は宇宙からでも見れるっていうからすごい規模だよね。
猪垣ができるずっとまえからこんなものを思いつきつくってしまうなんて本当にすごいなあ。猪垣は万里の長城をまねしたのかなー?

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猪垣の材料の石は?


猪垣の材料になった石は領家片麻岩といって四角く平らに割れやすい石なんだ。だからすごくつみやすかったんだよ。
額田町の中でも南部の方は領家片麻岩がたくさんとれたんだ。だから猪垣も南部にたくさんあるんだ。猪垣誕生には石にもポイントがあったんだね。

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猪垣積にも名人が、、、。


ものすごい規模の猪垣。みんなで作ったからやっぱりうまい・へたがある。
吉五郎さんという人が名人だったという記録が残されているよ。
場所によって猪垣の感じも違って、豪快に大きい石がつんであるのもあれば、小さ目の石がきれいに整って並べてあるものもある。
猪垣つみは人を表わすってね?

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猪垣の秘密兵器


猪垣の秘密兵器といえば猪穴がある。猪垣の一部分の通れるようなすき間をあけておくんだ。そこには落とし穴がつくってあって、イノシシを捕まえることができたんだ。食料の一部になったみたいだぞ。
イノシシの肉は少し臭みがあるから味噌仕立ての鍋にして食べるのが一般的だぞ。身がしまっていておいしいんだ。
ワシがくったら共食いになってしまうのお。

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