オリンピックと平和 その2
聖なる休戦

 「聖なる休戦」

 オリンピックの間はすべての戦いをやめる。それが古代オリンピックの決まりだったそうです。(詳しくは→http://www.joc.or.jp/olympic/history/001.html)どんな戦いがあったにせよ4年に一度は休戦してスポーツで戦うというこの歴史が、オリンピックが平和の祭典と呼ばれる理由です。そこで今回、聖地アテネで行われるオリンピックでは、停戦協定を定めようとギリシャが力を入れていました。そして国連決議で「五輪停戦」を全会一致で可決したのです。そこに待ったをかけた、というか、署名をしなかったのが…アメリカです。
 現在アメリカがイラクで激しい争いをしていることはおわかりだと思います。世界の中心のアメリカ。アメリカにとっては確かにこの休戦は、状態が厳しくなることもあるでしょう。でも、私は、ちょっと厳しい言い方をすると、アメリカのエゴなんだと思います。アメリカは世界平和を訴えているように見えます。確かに様々な運動が進んでもいると思うし、同時多発テロを受けた被害者だから、と世界平和を訴えている人もいるでしょう。だったらなぜここで、そういう世界の「新しい」と言ってもいい動きに、当事国のアメリカが賛同できないのか。悔しくて仕方がありません。

 一緒に昨日テレビを見ていた母が一言漏らしました。「人はどんなことを言っていてもやっぱり自分なんだ」と。国際問題についていろいろ調べ、国際協力を訴えてきた私にとっては少し痛い言葉でした。それでも国際協力を訴えていくのか、というところに少し戸惑いさえ感じてしまいました。しかし、そう言って「じゃあ解決できないんだから」と逃げていては、国際問題は解決していかないと思います。私は、自分が一番でもいいと思います。でも100パーセント自分のことだけじゃ、きっと世界は争いの連続でしょう。だから、それにプラスアルファ、ちょっとでもいいから回りのことを考えていく。ほんの少しでも、60億人が60億人そういう気持ちを持てば変わることもあるのではないかと、私はそう信じます。