オリンピックと平和 その3
スポーツ―名誉?
スポーツ―名誉?
今回のオリンピックでは一つ、「ドーピング」が問題となりました。勝つために、他人の尿を使っている選手もいるとのことです。禁止されている事項に対し、スポーツマンとしての心がけよりも、「名誉」が先にきてしまっているというこの問題は、小学生から陸上をやっている私にとっても大きなダメージでした。
少し私的な話になりますが、去年の今頃、私は話題の「アミノ酸」を飲み始めました。きっかけはある友人にアミノ酸が効くという話を聞いたからで、私も、「少しでも速くなりたい」という思いで飲み始めました。確かにこの後急激に伸びたという経験があります。そこには他の要因もあったのですが(特にメンタルな部分で)、それでもアミノ酸のパワーは確かなものだと思います。そういうことの延長線が、きっとドーピングというものでしょう。科学が急激に進歩していて、ドーピングの陽性反応がでない薬まで開発されてしまっている現状です。もちろん、ドーピングをしている人もかなりの努力を重ねてきていると思うのです。
でも、自分の力だけじゃなくて、そういう薬を使ってまで、というのは、スポーツマンとしてどうなのだろう。名誉やお金のためのドーピングって意味があるのだろうか。ドーピングが発覚し、選手資格停止になった時、スポーツマンとしての自分をどう見るのだろう。
私には世界のトップに立つ人たちの気持ちはわかりません。でも、こういうオリンピックの舞台って、そのスポーツが好きで、一生懸命、「努力したものの立つ場所」だと思うんです。
少しドーピングの話が長くなってしまいましたが、これとは対照的に、ただひたすら「必死」だったプレーを私は忘れません。皆さんはみましたか?イラクのサッカーチームです。
戦渦のイラクでは練習ができないため、イラク人チームは近隣の国々で練習を重ねてきたそうです。一時戦争によって解散してしまったチームも、オリンピックのために再び集まってきたのです。そこで一つ驚きだったのが、このチームは、宗教人種関係なく(イスラム教の中でもシーア派とスンニ派に分かれていて、イラクにはそのほかにクルド人なども居住しています)結成されているとのことです。宗教という点でたびたび争いとなる人たちが、サッカーという一つの競技を通して一つになっている姿は、とても美しいと思いました。そしてイラク人サッカーチームは、強豪を次々に倒し、堂々の銅メダルを獲得したのです。これには戦渦のイラク国民も大騒ぎだったようです。
イラクの選手はみな、一人一人がすごく必死になっていました。「戦争」という苦しさを知っているからこそなのかもしれません。『死に物狂い』といった言葉が浮かびました。また、イラク人の女子選手が初めて100mに出場もしました。次ではもっと多くの選手が参加できれば、と思います。
もちろん、そのほかの選手でも、例えば、ロシアの柔道選手で腕を負傷し額から流血していても必死に戦いみごと銅メダルを獲得した選手、例えば、男子マラソンで途中観客に襲われるアクシデントに見舞われながらも無事乾燥し銅メダルを獲得したブラジル人選手、日本人でも多くの選手が「一生懸命」な姿をみせてくれました。
その必死さをもって戦っている人と、ドーピングを使ってまで戦う人(これもある意味必死なのかもしれませんが)。一緒に競技しているということ自体、悲しくなるのは私だけでしょうか。
平和の祭典オリンピック。4年後の北京では停戦協定がなされ、むしろそんな協定を結ばなくてもいい状況になってくれてくれれば、とただひたすら願います。そしてどの選手も、一生懸命な、その人のプレーができることを望んでいます。
(のぞみ)