1988年、中国近代化の総設計士ともいわれる当時のケ(トウ)小平国家主席は「科学技術は第一の生産力である」という考えを発表しました。

中国は1970年代からの改革・開放政策を進めるにしたがって、政府、民間、相互の協力など、さまざまな形、方面・分野で国際的な「科学技術提携交流活動」を行っています。

その活動の範囲は、日本のほかにも、欧米、ロシア(旧ソ連を含む)、オーストラリア、東南アジアなど128の国と地域に及んでいて、主に機械・機器やエネルギー、加工、通信などの先端技術を、交流を通じて中国に導入しています。

また、中国と日本の交流の歴史は当ホームページ「中国から伝来したもの」でも紹介したように、とても古くから続いています。戦争などで一時は中断してしまうこともありましたが、人々のたゆまぬ努力と交流の力で徐々に回復していくことができました。

1955年には当時中国科学院長だった郭沫若(Guo Moruo:カク マツジャク)氏の招きによって日本学術協会派遣の視察団が中国を訪問し、中国の科学者と初めての学術交流を行いました。その後、同じ年に郭氏の率いる代表団が日本を訪問しました。

また、その年には日本医学代表団も中国を訪問し、中国の医学界と学術交流の協定を結びました。

他にも、1957年には両国の農業代表団が訪問しあうなど交流が段々と活発になり、1963年には中日友好協会も設立され、1972年の日中国交回復に大きな役割を果たしました。

そして、国交正常化以降、両国の科学交流はさらに活発になり、民間や政府、研究機関や大学などが、技術・人員・資金などの面で協力し合って行うプロジェクトが増えています。さらに、中国では、日本の科学発展や企業について紹介し、研究する書籍が多く出版されたり、医学や科学に関する日本の雑誌も翻訳されて発売されています。また、日本でも中国を研究した雑誌・書籍・さらに中国に関することをメインにした日本語の新聞まで数多く目にすることができます。

お互いに学びあうことで、ともに発展していくことができるのです。