〜中国医学の歴史表〜



〜漢方の伝来と歴史〜


漢方とは、日本に移入され、日本的修飾を経つつ現在にいたった中国伝統医学を指します。中国医学のことを、漢方医学ともいいます。これは漢代にその基礎的な理論と、方法論とが確立し、すべてその線にそれ以後の中国の医学は進んでいったからです。西洋医学が明治時代に入ってくるまでの長い間、日本の医学は、中国の漢方医学がほとんどでした。

●日本への伝来

記録上では、414年、新羅から金武という医者が天皇の病気を治しに日本へやってきたというのが日本と漢方が関わりあった初めての出来事です。医者が外国から来たのは初めてで、その後459年に高句麗から徳来という医師が来朝し、難波(現在の大阪)に住み、難波薬師と呼ばれ、代々医者を業としたといわれています。以後度々朝鮮から医者が渡来しました。552年にはハリ・キュウの術がもたらされ、602年には百済(くだら)の僧・観勒(かんろく)が天分、暦数の本とともに、医学の本をもたらしました。

当時の医学は朝鮮経由だったので、中国本土との交通に伴い中国で直接学ぼう、という傾向がありました。医学のための初めての外国留学は、602年に恵日ら二人が二度目の遣隋使として出発する小野妹子とともに動向したときです。この二人は、601年にも渡って医学を学びその間に隋が滅び、唐が興ったので、当の医学をも学びたくさんの医学書を持って624年に日本に帰ってきました。この頃からは中国との交通がやっと盛んになり始めていて、医学も直接日本へ入ってくるようになっていました。

●歴史と特徴

伝説によると、中国の医学は親王(炎帝)と黄帝の二人によってはじめられたといわれています。これは、周代の神秘的、魔術的な医学を経て、紀元前200年〜紀元前20年(秦漢時代)には自然哲学的な要素を深めていきました。


当時の中国の医学は『内経』に代表されます。これは易の原理を人体に応用したものです。易の理論によると、天地間にあるすべてのものは陰陽の二つの気の消長強弱によって生じていて、人間もその一つで、精神は天から受けた陽の気によって、肉体は地から受けた陰の気によってできています。さらに、内臓を五臓六腑に分類しています。(五臓とは心、肝、肺、賢、脾(ひ)で、六腑は胆、胃、大腸、小腸、ぼうこう、焦=排せつを示します。)そして陰陽師によってそれぞれの器官の機能を述べています。病気の原因には、五臓六腑の気や、血気、衛気、栄気などの体内の気がろ色々な原因で変化することをいった内因と、風、寒さ、暑さ、漆器などの外気がいろいろな原因から体内に入ることにある外因との二つがあります。





〜西洋医学とのふれあい〜


●日本の漢方医学の進歩

ここでいう当時における西洋医学は実はオランダ医学でしたが、それと漢方医学との関わりをみてみましょう。蘭学の禁は1716〜1745年(八代将軍吉宗の時代)に緩和されたため、蘭学の研究も行われていました。そして、前野良沢や中川涼庵らの蘭方医が現われ、1774年(安永三年)には杉田玄白らの『解体新書』(翻訳)が刊行されました。これにより今までに中国や日本で知られていなかったリンパ管などの三つの器官が明らかになり、“神経”という言葉も初めて使われました。これがきっかけとなり日本の漢方医学は急激に進歩し始めました。
それから蘭方医学はだんだん盛んになっていきましたが、日本の医者の大半は李朱の医学と奉じる漢方医でした。そして幕府も漢方の支持者でした。しばらく経つと、蘭方医学の興隆を苦々しげに見ていた幕府は、漢方医の突き上げもあり1842年(天保13年)に飜訳遺書の出版はすべて前述の医学館の検閲を必要とする、との命令をくだし、さらに1849年(喜永2年)には外貨、眼科以外、蘭方を禁止するといった弾圧策をとりました。が、その後1858年(安政5年)に将軍家定の病気が漢方医だけでは治らず、しかたなく蘭方医の治療に当てらせたことから前記の禁を解きました。その前の年には八十余人の蘭方医が依然として蘭方医学の研究を続けていました。当時、すでに八十余人もの蘭方医がいたということに注目すべきかと思われます。
●西洋医学の推進

西洋医学を推進させる最大の力となったのが、1823年(文政6年)にドイツ人シーボルトがオランダ医官として来日したことです。それ以後、西洋医学はだんだんと力をのばし、西洋医学(オランダ医学からドイツ医学へ転換)一辺倒の時代となったのですが、千数百年も続いていた漢方はなかなかおとろえなかったのです。1874年(明治7年)に行われた調査でも、漢方医が4人に対して洋方医は1人で、これは洋方医が間に合わなかったというのです。これに対し明治新政府は1876年(明治9年)に医術開業試験を制定しました。この試験課目には物理、化学、解剖、生理、薬物、内科、外科で、漢方医は大打撃を受けました。そして1883年(明治16年)には、医者になるためには公認の医学校の卒業生であるか、開業試験に合格した者のみ、という規定を受けたために漢方医はいなくなってしまいました。
明治政府が西洋医学にこだわった理由として、集団を対象として外科が主となっていた軍事医学には漢方が適切でない、ということにあります。しかし、そのため漢方が有効であった個人の疾病治療の面まで否定されてしまいました。こうして漢方は日本医学の表舞台からは姿を消してしまいましたが、その有効性には否定しがたい部分もあり、中国はもとより、日本でも民間でかなり用いられています。最近では得に一種のブームと化しています。



〜漢方薬について〜


●漢方薬の種類

漢方薬には金石(鉱物)、草木、獣、虫魚などがあります。薬の形には、湯(煮出した液、煎薬)、散(粉末)、丸(丸薬)、酒(酒でとかしたもの)、そして膏(油を混ぜてペースト状にし、塗る薬)があります。さらに唐には、丸に似た丹が加わったそうです。漢方薬の原料のほとんどが植物であるため、漢方薬を総称して「本草(ほんぞう)」といい、さらに薬物学のことを本草学といいます。先ほどあげた漢方薬の原料には、このようなものもあります。

原料名

漢方薬

金石

金(不老不死の仙薬「金丹」に最適の原料、銀、水銀、雲母、硫黄、琥珀

草木

これは数え切れないほどある。

今でもセンブリやゲンショウコ、クコなどがよく使われている。

熊の胆、犀(さい)の角、亀、オットセイ、獣の骨

虫魚

へび、ひきがえる、蜂

●良品質な日本の本草学

日本の本草学は長年ほとんどが中国の真似でした。しかし、江戸時代の初期(17世紀)になると、諸大名は自分の領内の産物を増やすために本草の研究を熱心にし始めました。すると18世紀はじめ、八代将軍吉宗が本草の生産を保護奨励した結果、日本独自の本草学が出来上がったのです。それが元は中国伝来とはいうものの、次第に日本の風土や日本人の体質や病状にあったものに改良されました。それまでに中国に頼っていた漢方薬もだんだん日本国産品を使うようになり、ないものも種苗を輸入し栽培にとりくみ、よって中国よりすぐれたものができ、輸出することも多くなってきたのです。



〜漢方療法の特徴〜


中国最古の薬品書といわれる後漢の『神農本草経』によると、漢方薬は365種類もあり、その使用方法は昔から定められた処方に従って数種をあわせ、用いました。使用する際に現代医学と違う点は、漢方では病気を持った個人個人のもる条件をまず総合的につかみ、それにふさわしい処方を与えることを第一としていたのに対し、現代医学では多くの人に普遍的な薬を見つけることを重視し、個人差には対症療法で補うということです。よって、漢方では病人一人一人に複雑な処方を与えることが重視されていて、同じ病気でも西洋医学のように皆に共通の特効薬を与えるのではなく、一人一人の性格、体質、生活環境、食物、太り具合、余病、そして季節などの条件を合わせ、個々に異なった処方を与えていました。
また漢方には、現代医学で見られない独自の現状があるのです。漢方では診断と治療とが直結していて、適切な診断によって患者に適した処方が選ばれます。
しかし、漢方ではしばしば瞑眩(めいげん)という症状があらわれることがあります。例えば、汗を出すために処方をくだしたのに、汗は出ず尿がたくさん出たことによって治る、などの場合です。これは現代医学の薬による副作用とは異なり漢方の複合主義の結果ですが、現代医学ではまだ解明されていません。
漢方医学では、証が正しく、処方が合っていれば、例えば煎薬を飲む場合、苦いものであってもおいしく感じるのです。普通の人では苦くて飲めなくても、患者にはおいしいのです。これが患者にとって苦くて口にできないものであったら、証が合っていない、ということになります。漢方では、病気は常に動いているものとされています。なので今まで口にしていた薬が患者の鼻についたり、まずく感じたりすると証がかわった証拠なので、処方をかえるのです。漢方薬では一本の薬草にも多くの成分による複合作用があり、しかも特殊なものを除けばほとんどの薬では副作用がみられないのです。



〜季節の重視〜


季節を重視するということも漢方の特徴の一つです。人間は天の陽の気と地の陰の気とを受けていると前に述べましたが、漢方ではさらに、春は生じ、夏は長じ、秋には収め、冬には蔵する、という原則に立っています。よって、たとえば慢性病だとすると、寒暑(季節)によって証がかわるので、処方もそれに合わせてかえるのが常識とされているのです。しかし現代のように、暑い夏には冷房をつけ、寒い冬には暖房をするようになると、季節に基づく処方も考え直さなければならないのです。
漢方薬は、最近の研究分析によって有効な成分をもっているとされたものも多いのです。中にはむかしの人がよくこんな効力を見抜いたな、と思わせるものがいくつかあります。例えば、みかんの青カビを傷口に塗る、という中国での古い習慣は、ペニシリンを塗ると同じようなことであり、さらに風邪をひいて熱が出ると、わざと暑いお湯をたくさん飲ませて発汗により熱を冷ませるなどは薬によらない、たくみな療法なのです。
喘息の薬、“エフェドリン”は漢方の麻黄から、高血圧に効く“ルチン”は槐花から、駆虫剤の“サントニン”は鶴蝨(かくしつ)からと、どれも漢方薬から有効成分を抽出して現代の薬としたものです。