「中国人」と「日本人」
この他のコーナーでも紹介していますが、中国と日本の間には何千年にもわたる交流の歴史があり、日本の文化や思想など、中国から受けた影響はとても大きいものです。また、見た目(容貌)、皮膚の色、文字、文化など様々な方面でお互いに似ている所が多いということが分かります。
昔は、日本と中国のことを指して、「同文同種」という言い方をすることもありました。同文同種とは、「同じ文字を用い、同じ民族である」ということです。けれども実際、中国も日本もそれぞれの国がもつ歴史、伝統、文化は長い間かけてできてきた固有のものであり、容貌が同じといっても、同じ民族というわけではありません。
日本は島国で、現在は単一民族に近い状態になっています。そして外敵の侵略もほとんど受けたことがありません。
一方、中国は多くの国と隣接する大陸であったため、主要民族である漢族は、日本と同じ農耕民族でしたが、常に狩猟民族である、主に北方の外敵からの侵略を受け続けました。そして、戦争など物理的な面では征服されましたが、文化的には相手を同化させてしまうという歴史を繰り返してきました。
また、社会の成り立ち(社会構造)の違いも長い間中国は文人官僚社会であったのに対し、日本は武家社会が続きました。その後、日本は資本主義の政策をとり、中国は社会主義の政策をとりました。
そして、それぞれの社会のもとに独自の文化や習慣、考え方が形成されていったことを思うと、中国人と日本人の性格や考え方に開きがあるのは当然のことだといえます。
例えば、日本では、自分の敵だった人であっても亡くなってしまったら「敵ではあったがあっぱれであった」と敬意を表するなどという「武士道」の精神があります。けれども、中国では有名な文豪、魯迅の「打落水狗」=〔水に落ちた犬は打て〕という言葉にあるように、「敵は亡くなっても敵である」という、まったく異なった思想が根底に流れています。これは、中国には「死後の世界」や「来世(生まれかわり)」という観念がないため、「生も死も同じものである」という「死生一如」の考え方がもととなっています。
また、犬についての見解も分かれ、中国では犬(狗)の字がつく言葉で良い意味のものは極めて少なくなっています。これは、肉さえ与えれば、たとえそれが腐っていても飛びつき、誰にでも尻尾を振るなど、犬がきわめて節操がないものと見られているためです。日本にも、「犬死に」などの言葉もありますが、その一方で従順で忠実な動物として「忠犬ハチ公」や『花さか爺さん』に出てくる犬などのような見られ方も多くなっています。
日本語と中国語の違いについても、日本の「非常口」は中国語で「太平門」と書きます。非常のときにもゆったりとした中国の国民性を表しているようです。また、中国の人はよっぽどの事がない限り街頭を走らないといいます。
一般的に、中国人は、日本人に比べて現実的でとても粘り強いといわれますが、これは広大で厳しい自然環境や、壮大な中国文明とその社会の移り変わり、長い複雑な歴史から形づくられていったものと思われます。
中国と日本の考え方や習慣の違いは、どちらが良くてどちらが悪いなどと決められるものではありません。決して自分の文化を中心とした偏見に惑わされることなく、お互いに長い交流の歴史や共通点、相違点を理解し、本当の交流、真の相互理解ができるような未来を築いていくべきだと感じます。