100番
出典:「続後撰集」より
ももしきや
古
ふる
き
軒端
のきば
の しのぶにも
なほあまりある むかしなりけり
順徳院
じゅんとくいん
■口語訳
この御所の建物の、古びた軒端に生えているしのぶ草を 見るにつけても、朝廷のさかえた昔が懐かしく思われて、 いくらしのんでもしのびきれないほど、うらやましく思 われることだなあ。
※ももしき・・・「百敷」または「百石城」と書き、多くの石でできた城という意味から御所のこと。
■作られたワケ
この頃、鎌倉幕府の政治が悪くなり、嫌な世の中でした。 その時、以外な場所にしのぶ草が生えていました。順徳院 はそれを見て、昔を偲んでいるように思えました。そして、 朝廷が栄えていた頃が懐かしいと思い、この歌を作りまし た。
■作者のプロフィール
順徳院(1197〜1242)
後鳥羽上皇の第三皇子。承久の乱にやぶれて佐渡に流され、島で世を去りました。
定家について和歌を学び、 すぐれた歌人であるとともに、有名な歌学書
「
八雲御抄
やくもみしょう
」の作者でもあります。