60番
出典:「金葉集」より
大江山
おほえやま
いく
野
の
の
道
みち
の
遠
とほ
ければ
まだふみも
見
み
ず
天
あま
の
橋立
はしだて
小式部内侍
こしきぶのないし
■口語訳
大江山を越え、生野を通って丹後へと行く道はあまりに遠 いので、まだ天橋立は、この足で踏んでみたこともありま せん。それにそこに住む母からの文(手紙)も、まだ見て いません。
■作られたワケ
この歌は、母の和泉式部が丹後の国(現在の京都府の一部)にいた時 のものです。その時に、自分をからかった男(権中納言定頼【64】)に、母に手伝ってもらって歌を作ってもらったではないと答えたものです。
■作者のプロフィール
小式部内侍(?〜1025)
小式部内侍は、橘道貞と和泉式部の娘です。 母とともに中宮彰子に仕え、小式部と呼ばれました。関白教通(かんぱくのりみち)や 頭中将公成(とうのちゅうじょうきみなり)らに愛され、その人達の子を産みましたが、25歳くらいで母に先立ち病気で死にました。