77番
出典:「詞花集」より
瀬
せ
を
早
はや
み
岩
いは
にせかるる
滝川
たきがは
の
われても
末
すゑ
に あはむとぞ
思
おも
ふ
崇徳院
すとくいん
■口語訳
川の浅瀬の流れが早いために、岩にせき止められた急流 が、いったんは二つに分かれても、また、下流で一つに なるように、私達二人も、たとえ今は人に邪魔されても、 将来は、きっと結ばれようと思う。
■作られたワケ
讃岐へ流れた崇徳院は、髪も爪も切らずに世を恨みつづけ、死んでいったと言われています。 でも宮中にいた時は歌をたくさん作っていました。この歌はその宮中で、愛しあう恋人同士のことをみて詠みました。
■作者のプロフィール
崇徳院(1119〜1164)
崇徳院は第七十五代の天皇でしたが、父の天皇に愛されず、若くして退位させられました。父の死後、 保元の乱を起こし、敗れて現在の香川県に流されて亡くなりました。
讃岐へ流れた崇徳院は、髪も爪 も切らずに世を恨みつづけ、死んでいったと言われています。