83番
出典:「千載集」より

なかよ みちこそなけれ おも
やまおくにも 鹿しかくなる
皇太后宮大夫俊成こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜい

■口語訳

ああ、世の中というものは、逃れる道というものはないものだなあ。逃げ たいと山の奥でも、辛いことがあったのか、悲しげに鹿が鳴いているよ。    

■作られたワケ

俊成の若い頃、京の町は興福寺の僧徒や延暦寺の僧兵 が暴れ、ひどく乱れていました。そしてある日、家に 帰ると、弟のように思っていた佐藤義清さとうのりきよが出家したと聞きました。俊成はかなりショッ クでした。この歌はその時作った歌で、俊成27歳の 頃でした。    

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■作者のプロフィール

皇太后宮大夫俊成(1114〜1204)
皇太后宮大夫俊成は、藤原俊成ふじわらのしゅんぜいのことで、藤原 定家の父です。後白河院の后で、皇太后宮こうたいごうぐうとよばれ た人につかえました。平安時代末の代表的な歌人で、御子左家みこひだりけという歌の流派をうちたてました。

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