
サトウキビは、南太平洋の島々から東南アジアを経て、インドに伝わったといわれています。
砂糖の歴史をひもといてみると、紀元前2000年頃までさかのぼることができます。
インドでは既にこの時代に砂糖が使われていたといわれています。
サトウキビの搾り汁煮詰めて砂糖をつくる方法を発明したのはインドが最古といわれ、
サンスクリット語のSarkaraあるいはSarkkaraが英語のSugarやフランス語のSucreの語源になったといわれています。
最古の仏教典には「砂糖」はクスリの一つとして記されていて、大変貴重なものであった様です。
病気による衰弱、疲労の回復に「砂糖」が効果がある事がこの頃から知られており、クスリとして使われたようです。
また、今から2300年ほど前、アレキサンダー大王のインド遠征軍の記録に、サトウキビに関する記述が出てきたり、
別の記録には、「インドにはかむと砕ける甘い石がある」とも書かれています。
これこそ、当時の砂糖のことだと思われています。
ヨーロッパでは11世紀の終わりから13世紀にかけて十字軍が持ち帰り、
やがて温暖な地中海のまわりで砂糖づくりがさかんになっていきましたが、
サトウキビは温暖な気候でないと育ちません。
そのため1747年に入りプロシャの科学者のマルクグラーフによって、
甜菜(砂糖大根・ビート)の甘み成分が砂糖と同じであることを発見され、
寒冷地でも育つ甜菜がフランス、ドイツなどで盛んに栽培され甜菜を原料とする製糖業が発達しました。
(特にナポレオンがこの甜菜に注目したそうです。)
日本には今から約1200年前の奈良時代、
鑑真和尚が唐から渡来した折り持参したとの説があります。
当時、お砂糖は大変貴重な薬として奈良の大仏にささげられました。
正倉院に保存されている「種々薬帳」(大仏に献上したクスリの目録)に
サトウキビからつくった砂糖という意味の「蔗糖」という言葉が記されています。
それから時を経て、砂糖を使ったお菓子が将軍たちの嗜好品としてもてはやされていきました。
ヨウカン好きの足利義政やコンペイ糖に目がなかった織田信長の逸話は有名です。
国内で砂糖づくりがはじまったのは、江戸時代。
八代将軍吉宗が琉球(沖縄)からサトウキビをとりよせ、江戸城内で試験的に栽培をはじめたのです。
砂糖はこの様に有史以前から人間に利用されてきた、長い歴史を持つ自然食品です。


| 紀元前4世紀 | アレキサンダー大王がインドに遠征。その家来が「蜂の力をかりずに葦から取れる蜜がある」と語ったとされる。 |
| 11世紀 | ヨーロッパのキリスト教国による十字軍の遠征がはじまり、西洋諸国に砂糖を持ち帰る。 |
| 12世紀 | コーヒーを飲む習慣から、王侯、貴族、聖職者などの上流階級で砂糖の消費が盛んになる。 |
| 13世紀 | 元の初代皇帝、フビライ・ハンがアラビア人の技術者を招き、黒糖を白い砂糖に精製。マルコ・ポーロが中国を訪れ、白い砂糖に出会う。 「東方見聞録」にその時の驚きが記述されている。 |
| 15世紀 | コロンブスが新大陸を発見。ブラジル、カリブ海諸国を中心にさとうきびプランテーションが発達する。 |
| 16世紀 | 植民地時代。植民地の産物をもとに国際間の貿易がはじまり、砂糖は重要な貿易物資となる。 |
| 19世紀 |
プロシアで真空結晶缶、アメリカで遠心分離器が生まれ、産業革命を経て製糖技術が近代化する。 |

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8世紀 |
唐僧鑑真が来日した際に黒砂糖500斤をもたらしたという説がある。(薬用として活用) |
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17世紀 |
〔1610年〕薩摩国大島郡(奄美大島)の直川智が黒砂糖の製造に成功。 |
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18世紀 |
元禄期、薩摩藩が本格的に製糖を開始。 |
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19世紀 |
〔1868〕明治維新による開国で外国から白砂糖が入るようになり、日本の製糖は奄美大島と沖縄県の黒砂糖のみとなった。 |
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20世紀 |
〔1940年代〕台湾からの供給が絶たれ、配給制度によって1人あたり6大都市で1ヵ月360g、その他の地域で1ヵ月300gとなる。 |