1868年(慶応四年、明治元年) | |
1月3日 | 鳥羽伏見の戦いが勃発。 |
1月4日 | 新選組は淀城下に着陣する。 |
1月5日 | 千両松付近での戦いで井上源三郎他10数名が戦死、山崎烝らは重傷。 |
1月6日 |
橋本に着陣するが戦いに敗れ、大阪八軒屋の京屋忠兵衛方に退陣。 徳川慶喜は夜大阪城を出発する。 |
1月7日 | 新選組は大阪城二の丸に入るが火災のため京屋に入る。 |
1月8日 | 新選組(負傷者一行)は木津川を小舟に乗り川を下る。 |
1月9日 | 永倉などの可動隊士は順動丸で天保山沖を出航する。 |
1月10日 | 近藤、土方らは富士山丸に乗船して出航し、兵庫沖で碇泊する。 |
1月11日 | 富士山丸は兵庫沖を出航して紀州由良港に碇泊する。 |
1月12日 | 富士山丸は紀州由良港を出航。 順動丸は品川を出航。 |
1月13日 | 山崎烝、死去。(富士山丸から水葬されたと言われている) |
1月14日 | 富士山丸は横浜を出航、負傷者は医学所に入る。 |
1月15日 |
富士山丸は品川に到着。 近藤、沖田は神田和泉橋の医学所の松本良順宅に向かう。 |
1月16日 | 近藤、土方は江戸城に向かう。 |
1月18日 |
近藤は佐藤彦五郎、粕谷良順と面談する。 土方は会津藩からニ千両を受け取る。 |
1月20日 | 新選組の屯所として鍛冶橋門外の秋月右京亮宅が与えられる。 |
1月26日 | 負傷した隊士27名が医学所に入る。 |
1月27日 | 負傷者28名が医学館に移る。 |
1月28日 | 近藤は横浜病院に出張。 |
2月1日 | 尾関雅次郎、岸島芳太朗は横浜を訪れて負傷した隊士に和泉橋医学所へ移ることを伝える。 |
2月2日 | 負傷した隊士は横浜を出航して品川に宿泊。 |
2月3日 | 負傷した隊士は医学所に入る。 |
2月7日 | 近藤は加療のために横浜へ向かう。 |
2月10日 | 近藤は尾関の迎えで横浜を出発する。 |
2月12日 | 近藤は徳川慶喜の警護を命じられる。 |
2月13日 | 徳川慶喜は上野野寛永寺で謹慎生活を始める。 |
2月15日 | 新選組は徳川慶喜の警護を開始する。 |
2月17日 | 新選組隊士3名は甲州へ出発。 |
2月25日 |
徳川慶喜の警護を終了。 近藤は養父の近藤周斎の墓参りを行う。 |
2月27日 | 大石鍬次郎は甲府に出発する。 |
2月28日 |
新選組は甲州鎮撫と名を命じられる。 隊士には出陣手当を支給する。 |
3月1日 |
新選組は甲陽鎮撫隊として江戸を出発。 近藤は大久保剛(大和)、土方は内藤隼人と名乗る。 |
3月2日 | 日野の佐藤家で休息して、佐藤彦五郎が春日隊が合流する。 その後、八王子に宿泊。 |
3月3日 | 与瀬に宿泊。 |
3月4日 |
大石鍬次郎と合流する。 新政府東山道軍、甲府入り。 |
3月5日 | 勝沼に布陣して、土方は援軍を求めて江戸へ向かう。 |
3月6日 |
甲州柏尾の戦闘で隊士の加賀爪勝之進、上原栄作が戦死。 江戸に敗走する。 |
3月8日 | 甲陽鎮撫隊は八王子まで敗走して土方と合流する。 |
3月10日 | 甲陽鎮撫隊は江戸に戻る。 |
3月11日 | 永倉新八、原田左之助ら20名は新選組と決別して靖共隊を結成。 |
3月12日 | 負傷した隊士など20数名が粂部正親を長として会津へ向かう。 |
3月13日 | 隊士48名は五兵衛新田の金子健十朗宅で宿泊する。 |
3月14日 | 近藤は隊士10名と金子家に到着。 |
3月15日 | 土方は隊士4名と金子家に到着。 |
3月16日 | 隊士3名金子家に到着。また、勝海舟配下の軍事方松浪権之丞が金子家を訪ねる。 |
3月17日 | 吉沢大助が金子家を訪ねる。 |
3月19日 | 会津藩士兼川直記が金子家を訪ねる。 |
3月24日 | 松本良順が金子家を訪ねる。 |
3月27日 | 会津藩士数名が金子家を訪ねる。 |
4月2日 | 新選組総員227名は流山に移動する。 |
4月3日 |
流山の新選組は新政府軍に包囲され近藤は投降し、連行される。 土方は夜、勝海舟を訪ねて江戸へ向かう。 流山の新選組は会津へ向かう。 |
4月4日 |
近藤は板橋の板橋の新政府軍本営に連行される。 土方は近藤の助命をはかるために勝海舟と面談する。 夜、島田魁が江戸を潜入し土方と合流する。 |
4月11日 |
江戸城が新政府軍に引き渡す。 土方一行は鴻ノ台の旧幕脱走軍に合流して前軍参謀に選出される。 |
4月12日 | 土方は会津藩士秋月登之助と前軍を率いて小金に宿陣する。 |
4月13日 |
前軍は布施に宿陣。 福田平馬、勝海舟に近藤の助命を嘆願する。 |
4月14日 |
大鳥圭介が率いる行軍は山崎に宿陣。 原田左之助は靖共隊を離れて江戸に向かう。 |
4月15日 | 前軍は水海道に宿陣。 |
4月16日 | 前軍は宗道に宿陣。 |
4月17日 | 土方は下館藩に出陣。 |
4月18日 | 前軍は蓼沼に宿陣。 |
4月19日 | 前軍は宇都宮城を襲撃して成功する。 |
4月20日 | 後軍は前軍と合流して宇都宮城に入城する。 |
4月21日 | 旧幕府軍は壬生城攻撃の軍議を開く。 |
4月22日 | 旧幕府軍は壬生城攻撃に出陣するが敗走する。 |
4月23日 | 宇都宮城が奪還される。土方は足指に負傷を負う。 |
4月24日 | 土方、秋月一行は会津に向けて出発。 |
4月25日 | 近藤勇、板橋で斬首される。 |
4月26日 | 土方一行は田島陣屋に至り赤月と別れる。 |
4月28日 | 近藤の遺体を宮川勇五郎が発掘する。 |
4月29日 | 宮川勇五郎らが近藤の遺体を龍源寺に埋葬する。 |
閏4月5日 | 新選組隊長の山口次郎(斎藤一)は白川に出陣する際に松平容保に拝謁する。 |
閏4月6日 | 新選組は若松に出陣して赤津に出陣。 |
閏4月7日 | 近藤の首が京に到着。 |
閏4月8日 | 近藤の首が三条河原で10日の朝まで晒される。 |
閏4月21日 | 新選組は白川城に出陣。 |
閏4月22日 | 新選組は城下に宿陣。 |
閏4月23日 | 新選組は白坂関門を守備する。 |
5月1日 |
新政府軍との白川での戦いで黒川で新選組加わる。 伊藤鉄五郎、戦死。 |
5月15日 | 上野戦争が起こる。 原田左之助は靖共隊から離れて彰義隊に加わり負傷。 |
5月17日 | 原田左之助、死去。(死亡しておらず、馬賊になった説あり) |
5月26日 | 新選組は白河奪還に敗れて上小屋まで敗走する。 |
5月27日 |
会津遊撃隊と合流し白河に襲撃するが敗北して巻ノ内に敗走する。 島田魁が負傷する。 |
5月30日 | 沖田総司、療養していた千駄ヶ谷で病死。 |
6月12日 | 白河奪還のために大熊川に襲撃するが羽太まで敗走する。 |
6月15日 | 土方は若松城で覚王院義観を訪ねる。 |
7月1日 | 新選組は羽太に出陣するが羽鳥に敗走して福良に移る。 |
7月6日 | 土方は福良に出張して近藤芳助を訪ねて町守屋へ出陣することも命じられる。 |
8月1日 | 土方は秋月と新選組、伝習第一大隊、回天隊を率いて3代、中地、舟津に引き揚げて休陣する。 |
8月18日 | 新選組は二本松に出陣のため猪苗代に向かう。 |
8月19日 | 新選組は会津軍、旧幕諸隊と母成峠に出陣。 |
8月21日 | 母成峠の戦いに敗れて加藤定吉、漢一郎、木下巌、小堀誠一郎、鈴木練三郎、千田兵衛が戦死。 |
8月22日 | 土方は滝沢本陣で新政府軍を襲撃。新選組に宿陣。 |
8月23日 | 土方は庄内に援軍を求めて大塩に向かう。 |
8月25日 | 土方が米沢に到着する。 |
9月1日 | 元御陵衛士の佐原太郎が京都下寺町で死亡。 |
9月3日 | 土方は榎本武揚と仙台で軍議に出席して榎本より総督就任を推挙される。 |
9月5日 | 会津にいる新選組20名ほどは高久村の如来堂守備中を攻撃されて壊滅状態となる。 |
9月8日 | 慶応から明治へと改元される。 |
9月9日 | 新選組、旧幕陸軍は土湯に宿陣する。 |
9月11日 | 新選組、旧幕陸軍は土湯から鳥渡に宿陣。 |
9月12日 |
土方と榎本は仙台に登城して恭順派と面談するが決裂する。 新選組、旧幕陸軍は桑折に宿陣。 |
9月22日 | 会津藩降伏。 |
10月10日 | 新選組は伝習士官隊などと大江丸に乗船する。 |
10月12日 | 旧幕艦隊七艦は蝦夷に向けて出航。 |
10月21日 | 蝦夷鷲ノ木に到着。 |
10月22日 | 新選組は大鳥の指揮下となって鷲ノ木から箱館五稜郭に向かう。 |
10月23日 | 旧幕軍が峠下で新政府軍の攻撃を受けるが大鳥軍の加勢によって撃ち破る。 |
10月24日 | 三好胖、小久保清吉らが戦死。 |
10月25日 | 土方らは湯ノ川に到着。 |
10月26日 | 大鳥軍、土方軍は五稜郭に入城する。 |
10月28日 | 新選組は市中取締りを命じられて箱館の称名寺を本陣とする。 |
11月1日 | 新選組は市中を巡察開始する。 |
11月3日 | 土方の前軍は福島を占拠。 |
11月5日 | 土方軍は松前城を攻撃し、城下に宿陣する。 |
11月11日 | 土方軍は江差に向かう。 |
11月13日 | 大滝峠で戦闘。 |
11月14日 | 開陽丸が海上から江差を攻撃して土方軍は江差に入る。 |
11月16日 | 土方軍江差に到着。 |
11月18日 | 土方軍は熊石に向かう。 |
11月22日 | 土方軍熊石に到着。 |
11月29日 | 新選組に松前に出陣と命じられるが中止になる。 |
12月5日 | 土方は箱館五稜郭につめる。 |
12月15日 |
蝦夷地平定を祝して各国領事を招いて祝宴を開催した。 士官以上の投票によって榎本新政府の役員を選出する。 総裁に榎本武揚、副総裁松平太郎、陸軍奉行並土方歳三、海軍奉行荒井郁之助、 陸軍奉行大鳥圭介になる。 |
12月29日 | 土方は桑名藩家老酒井孫八郎を訪れて面談する。 |