1863年(文久3年)8月18日 
−8月18日の政変−






長州藩を中心としている尊皇攘夷派が市中でテロを繰り返されている。
その尊王攘夷派を追放させるために、会津藩京都守護職と京の政界に復権を狙っている薩摩藩とで手を結んで働きかけている。
長州藩は御所の警護から解任されて京を追われることになった。

8月18日、会津藩から浪士組に出動要請があるとすぐさま急行する。
しかし蛤御門から御所へ入ろうとすると会津藩の守備兵が味方であることを知らずに通行を許さなかった。
そこで筆頭局長の芹沢鴨が会津藩の守備兵たちを一括。
無事、中に入れた浪士組は建礼門(御花畑)を警護する。

この日の夜、これまでの働きによって、「壬生浪士組」から「新選組」をいう名を拝命される。
そして会津候から京都市中見廻りを命ぜられた。



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