1864年(元治元年)6月10日 
−明保野亭事件−






池田屋事件から5日の6月10日。
新選組は産寧坂にある明保野亭に志士がいるとの情報を得て、
早速武田観柳斎が率いて現場に急行する。

しかし、現場には志士がいなく、この時1人の武士が逃げようとした。
そして会津藩士の柴司が槍でこの武士を突いてケガを負わせた。
だが、この武士は長州藩士ではなく土佐藩士の麻田時次郎であったのだ。

会津藩は土佐藩に見舞いの使者を送らせるが、
翌日土佐藩はこの武士の行動にも責任があったとして麻田時次郎を切腹させてしまう。
柴司は両藩の関係悪化を恐れて実の兄の介錯で自刃してしまった。
悲しい誤認事件であった。



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