1865年(元治2年、慶応元年)2月22日
−山南脱走−
1865年(元治2年、慶応元年)2月22日、山南敬助は新選組を脱走した。
なぜ脱走したのかという真相は謎のままである。
しかし、いくつか考えられることがあった。
伊東甲子太郎の考えに共鳴した山南が近藤らと距離を置くようになったこと。
土方との関係があまりよくなく、西本願寺に屯所を移転することなどで対立していたということ。
というようにいくつかが挙げられる。
脱走後、山南の後を沖田総司が馬で追跡して近江の大津宿で山南を発見する。
行方をくらまそうとすればできたものを、なぜ大津のような分かりやすい宿場にいたのも
これもまた謎のままなのである。
そして、この近江の大津宿で1泊して2人は屯所に戻る。
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