1864年(元治元年)7月19日 
−蛤御門の変(禁門の変)勃発−






池田屋事件後、長州勢が京に侵入してきた。
元治元年6月、会津藩松平容保候は新選組に出陣を命令する。
新選組は九条河原の銭取橋付近で戦闘に備えていた。

7月19日新選組は竹田街道、藤の森付近で長州の1軍と戦闘。
そして御所に長州勢が迫るとの知らせを聞いて急行する。
しかし現場に着いた時にはすでに戦の命運は決まっていて、長州勢の主力部隊は撤退した後だった。
その後、新選組は掃討戦に参加する。


この蛤御門の変(禁門の変)で砲弾が御所の中に飛んできたことから、
長州は「朝敵」とみなされることになった。



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