−T 池田屋事件への序章−







1864年(元治元年)6月5日の早朝、武田観柳斎らが
桝屋の喜右衛門が怪しいとの情報を得て桝屋へ向かった。
桝屋を調査した結果、長州藩士とのやりとりの手紙や連判状、大量の武器弾薬が発見された。
そして桝屋の喜右衛門を連行し、前川邸屯所の土蔵で厳しい取り調べをする。
喜右衛門は正体を勤王派で名の知られた古高俊太郎だと自白する。

そのことを知った新選組は、土蔵の2階のはめ板をはずし、
1階まで縄を伸ばして古高を逆さに吊るして足の甲から5寸釘を打ち付けた。
さらに足の裏に突き抜けた釘にろうそくを立てて火をつけて拷問を行ったと言われている。

そして古高は勤王派の恐るべき陰謀をはいた。
強風の火に御所の付近に放火し、京都守護職の松平容保候、京都所司代など暗殺、
佐幕派の公家中川宮を幽閉して天皇を長州へ連れ出そうというのだ。

このことを知った新選組は松平容保らに報告する。
そして新選組は京の町を一斉探索することになる。





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