1867年(慶応3年)2月12日 
−河合耆三郎、切腹−






勘定方の河合耆三郎が管理をしていた隊費を何者かによって50両持ち去られる。
河合はがなくなっていることに気づくが表ざたにはせずに、実家の米屋に秘密にお金を依頼する。

しかしこのことが発覚してしまう。
河合にはこのことが起こった責任として実家から送金する約束をする。
だが約束の日になっても実家からのお金が来ない。
ちょうど実家の父親が不在だったのである。
そのため1867年(慶応3年)2月12日、勘定方河合は切腹する。






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