1865年(元治2年、慶応元年)3月10日
−西本願寺へ屯所を移転−
隊士が増えて八木邸、前川邸では狭くなってしまったため新選組は
1865年(元治2年、慶応元年)3月10日に西本願寺に屯所を移転する。
移転した理由は西本願寺は勤王派が出入りする寺だったので監視をするためでもあった。
新選組は西本願寺の北集会所や太鼓楼を使っていた。
また、境内では剣術や大砲の訓練などを行っていた。
寺の人たちや近隣住民は新選組をひどく嫌っていたという。
そして寺側は京都守護職や会津藩に苦情を訴える。
しかし土方は国を守るためと言い張ってますます大砲を撃ちまくったとされている。
また、北集会所は明治になって解体されて、姫路市亀山本徳寺に移って現在も残っている。
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