沖田 総司

(おきた そうじ) 幼名 宗次郎 出身 陸奥国白河郡白河 生没 1842年(天保13年)〜1868年(慶応4年)5月30日 享年 27歳 流派 天然理心流 恋人 いたが名前は不明 死因 結核で病死



沖田は9歳で天然理心流剣術道場、試衛館に入門し、住み込みで剣の腕を磨

きました。そして若くして免許皆伝となり、近藤や土方からも厚い信頼を受

けていました。淡々と人を斬り続ける非情なまでの強さとは裏腹に、壬生寺

境内で子供と遊び、冗談を言って笑わせるような人だったそうです。しかし

その後、京都にて、その時代には不治の病気と言われた肺結核にかかりまし

た。周りを心配させないようにと、平静を装っていましたが、池田屋事件の

時も倒れ、現場を後にしました。病気の日々を送っている中、沖田の愛する

女性も亡くなり、大変ショックを受けたそうです。それから1年後の夏のき

びしい暑い日に、松本良順の宿で短い人生を終えました。



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