1863年(文久3年)9月18日
−芹沢暗殺−
芹沢鴨を始末するように会津候から言われた近藤らは9月18日、
島原の角屋で芹沢とその配下の平山五郎、平間重助はひどく酔っ払っていた。
八木邸(上、写真)に戻った芹沢たち3人は、芹沢は妾のお梅、平山は島原の吉栄、
平間は島原輪違屋の糸里と酒宴してそれぞれ眠りにつく。
そして深夜、様子をうかがって土方、沖田、山南、原田が襲撃する。
手前の部屋に寝ていた平山は一撃で死亡する。
芹沢の女のお梅もあっという間に死亡してしまう。
平間と2人の女は運良く逃げれることができた。
芹沢は深手を負うも縁側伝いの隣室に逃げ込むが文机につまづいた所を斬殺される。
この襲撃は長州のしわざとされていて、試衛館からの仲間の永倉新八でさえも
近藤らから真相を明かされることはなかった。
そして12月には野口健司も切腹をさせられ、芹沢一派は全滅した。
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