藤堂 平助

(とうどう へいすけ) 出身 江戸府内(?)  生没 1844(天保15)年〜1867(慶応3)年11月18日 享年 24歳 流派 北辰一刀流 死因 油小路にて新選組隊士から殺害された。 



藤堂は元々、伊東甲子太郎の剣術道場の弟子でしたが、その後近藤の試衛館

道場に入門。池田屋事件でも大いに活躍しましたが、ふとした油断から額に

重傷を負い、治療のために1年近く江戸で過ごす事になりました。その1年の

間には近藤の依頼で、以前教えを受けた先生、伊東を新選組に勧誘し、入隊

させました。そして藤堂はまた、新入隊士として京都に戻ってきました。

しかしその頃藤堂は伊東と接近し始めていて、ついに慶応3年の三月に伊東と

共に新選組を分離脱退しました。その後、近藤が伊東を暗殺した時、近藤は

藤堂だけは殺害しないように、と一同に命じましたが、藤堂が伊東の遺体を

駕籠に収容させようとしている時に、新選組隊士が斬ってしまい、還らぬ人

となってしまいました。






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