ホーホー

実は、古い時代のことはほどんどわかっていないのだよ。




 古代の日本では、今の北海道だけでなく、東北地方、特にその北部一帯に住む人々は
日本の政府に従っていませんでした。そこで、日本の政府の人々は、それらの人々をひろく
「毛人(えみし)/夷(えびす)/蝦夷(えぞ)」と呼び、それらの人々の住む地域を
「えぞ地」と呼びました。
だから、古代の「えぞ地」には、北海道だけでなく東北地方北部も含んでいました。
そこで、古代のことはよく分からないのです。

 しかし、かなり多くの日本人がえぞ地に住みつくようになったのは、
室町時代以後のことであるようです。

 鎌倉時代初期に東北地方でもっとも勢力があったのは、安東(あんどう)家という大名でした。
そこで、安東家は鎌倉幕府から東北地方一帯の支配を任されることになりました。
そして安東家は鎌倉幕府から「蝦夷管領(えぞかんれい)/蝦夷代官(えぞだいかん)」という
役職も与えられました。
 しかし、安東家の人々は、北海道のアイヌの人々を支配していたわけではありません。
ただ、安東家の支配下にあった東北地方の人々の中には、北海道のアイヌたちと交易(こうえき)
していた人々がいたに違いありません。
そこで、安東家は北海道の状況をよく知っていたのです。
 室町幕府の時代に1423年に安東家から幕府に献上したものの中には、「ラッコ皮30枚、昆布500把」
という北海道の名産物があります。だから、安東家の人々が北海道のアイヌの人々と交易して
いたことは明らかです。

ススム