ホーホー






 ところが、ちょうどそのころ、あの鍛冶屋での小刀事件が起きたのです。
その翌1457年の5月14日、まず箱館ともう一つの館がアイヌ人による急襲をうけました。
このとき、アイヌの軍勢はとても優勢で、まず2つの館を陥落(かんらく)させ、さらにあっという
間に10の館を陥落させてしまい、あとは2つの館が残るだけになってしまいました。
このままでは安東家が北海道から追い出されてしまうまでになったのです。

 そんなとき、和人にとって英雄が現れました。まだ落城していなかった館にいた武田信広という
男です。彼は、総大将のコマシャインとその息子をうまく誘導して、矢で射殺しました。
するとそのあと、アイヌの軍勢は総崩れになり、和人はアイヌ人に対する支配権を確立することに
成功したのです。

 武田信広はその功績を認められて、代官の一人の養子に迎えられ、蠣崎(かきざき)姓を名乗り
ました。それから、その後を継いだ人々は、いろいろ策謀(さくぼう)をこらして、秋田にいる
安東家直属の代官と認められるようになって、えぞ地の和人の最高支配者の地位を確立しました。

 しかし、その後もアイヌの人々は、和人に対する攻撃をあきらめませんでした。
記録に残っているだけでも、1471、1512、1513、1514、1515年に反乱を起こしています。
アイヌの人々は、コマシャイン戦争での最後の敗北の後も、和人の支配に服するようには
ならなかったのです。

ススム
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