ホーホー





これは、松前藩の初期の歴史を記した「夷役(えびすやく)の記録」という文書によった
ものです。ところが、同じ文書の1531年の項には、まったく違ったことが書かれています。

先代の蠣崎義広が、「1529年に義広によってだまされて殺された義父の敵を討とうとした
アイヌ」の首領夫妻をだまし討ちしたことを記して、そのあとに「夫婦を討って以後、国内
東西安全なり」と記してあるのです。

だから、「反逆の恐れのあるアイヌ人をみんな殺したから平和が訪れたのだ」という考え
もあったことになります。社会の問題については、このように「原因と結果」についての
考えが、人によって大きく変わることがあります。この問題の場合、あなたはどう思いますか。

それはともかく、1551年に四代目の領主の蠣崎季広がアイヌ人と全面的に講和して以後、
北海道南端の地に完全な平和がやってきたのは間違いないことでしょう。
相手を尊敬することが出来るようになれば、その相手を攻撃することなど考えられなくなる
からです。


ススム
[メニュー]
アイヌ語辞典
サイトマップ