F明治時代
ペルー来航以降、外国人の居留置での牛肉需要により、東京に屠殺所が設けられて牛肉の供給が行われる。 明治に入ると廃用牛を使って牛鍋やすき焼きが一般大衆にも広がり各地で屠殺所や肥用所が作られた。 さらに明治19年に牛肉が軍隊の食料となったため、日清、日露戦争から帰還した兵士によって牛肉の消費が急激に増加した。 |
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写真 社団法人 全国肉用牛振興基金協会 提供 シメンタール種 |
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またこの時代には外来種が輸入され、そのうちシメンタールとエアシヤーという種類が和牛と10年程盛んに交配されることとなった。 しかし、このようにして生まれた雑種牛は体重や乳量では増加したものの、農耕には使いづらく、肉質も悪質だった。それから、地方の事情に合わせた改良が奨励されるようになった。 特に中国地方や九州地方では牛の改良が本格的だった。 |
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写真 社団法人 全国肉用牛振興基金協会 提供 ブラウンスイス種 |
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G大正時代
この時代の特徴は牛が乳用種と肉用種に完全に分岐したということです。 なぜなら農村の労働力が都市への人口流出、徴兵及び軍馬の徴用などにより不足し、それに加えて第一次世界大戦消費が増加して肉用種がますます重要になったからです。 そして国産牛肉の不足が問題となり、多くの朝鮮牛や青島牛が輸入されました。 |
H昭和時代
農村恐慌により肉用牛は田畑を耕したり金肥の節約の他に、新たに老人・子供・婦人の労力活力、農業で残った作物の処理、牛を売ることで得る現金収入などあらたに存在価値が高く評価され始めた。 しかし、昭和27年ごろから自由経済への移行の影響で農家には化学肥料の利用が増え始めた。そして家畜飼料にはアメリカからの輸入穀物、田畑には耕運機の普及など牛の役割はどんどん少なくなっていった。 それから昭和34−35年には牛の肥育ブームの影響により、専業化した肉牛肥育経営とその大規模化が目立つようになった。
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