アショカ王
関連国
[インド]
アショカ王(A-soka)は、マウリヤ朝の第3代の王です。
漢訳では阿育王と書かれています。生没年は不明です。
王権に在位していた時期は紀元前268年-232年とされていて、インド亜大陸をほぼ統一しました。
古代インドにあって仏教を守護した大王として知られています。
伝説では、アショーカ王の通った所は、すべて焼き払われ草木が一本も生えていない、といわれるほどの暴君
でしたが、あまりにも無残な戦争(カリンガ王国征服)を反省し仏教に深く帰依したとされています。
さらに仏教だけではなく、広くさまざまな宗教を保護したことがわかっています。
学問的にはアショーカ王が暴君だったという歴史的資料は見つかっておらず、暴君伝説は、後の世の創作
と考えられています。
●○アショカ王の石柱○●
アショーカ王の石柱は、表面にサンスクリット語やギリシャ語が刻まれ、
仏教の歴史の解明にかかせない貴重な資料です。
釈迦の生誕の地(ルンビニ)は、この石柱が発掘
されたことから特定されました。
石柱には、ここがブッダの誕生された地であることと、租税を免除することが書かれていました。
これによって、釈迦が伝説上の存在ではなく、歴史上実在したことが認められたのです。
また石柱にはさまざまな文章が書かれていますが、現存する仏典と一致しないものも多く、
仏教思想の変遷の跡が認められます。
また、漢訳の仏典で菩薩に相当する部分が、石柱ではブッダとなっており、
大乗の菩薩思想が登場する以前の資料としても注目されています。
アショーカ王の時代は仏教の歴史でいう「根本分裂」の時代に相当し、
石柱にも分裂を諌めるアショーカ王の文章が掲載されています。
内容からみてアショーカ王は上座部を支持していたようです。
●○アショカ・ピラー○●
アショーカ王の柱のことです。
インドのデリー郊外にある錆びない鉄柱で、紀元415年に建造されました。
古代に建造された鉄の柱が、1500年以上の間、まったく錆びないため、オーパーツとして注目を浴びた事もありました。
時代的に見て、アショーカ王が建造したものではありませんが、一般にアショーカ・ピラーと呼ばれています。
●○国旗への用いられ方○●
インドの国旗の中央の紋章はアショカ王の記念塔
に由来する仏教のシンボル、チャクラ(法論)です。
3世紀頃のインドの神殿の柱に飾られたもので、24の車軸は1日の時間を表しています。
初代首相のネールが、全世界の平和と自由を目指して働き続ける新生インドのシンボルとして、この図柄を採用しました。