<中国・日本>
織女と牽牛


天の川の東の岸に美しい女性がいました。
王帝の娘で名を織女といい、父の言い付けで1日中ハタを織っていました。
そのため織女には、化粧をする暇もありませんでした。

父はさすがにふびんに思って、 娘を牽牛という若者に引き合わせました。

すると織女は新婚生活の楽しさにおぼれてしまい、ハタを織ることを怠ってしまいました。
これに父は腹をたて、娘を連れ帰り1年に1度だけ牽牛と会うことを許しました。

その日が7月7日で、もし雨が 降れば天の川の水かさが増すので渡ることが出来ず、2人は川を隔てて思いをかわす他ありませんでした。

それを見かねたカササギの鳥が、川の中に翼を並べて橋となり織女を渡してやるといわれています。


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みずがめ



















<中国>
織女の祝福


唐の郭子儀(かくしぎ)が宿に座っていると、身の回りに紅色の光がさしました。
驚いて空を見上げると、美しい天女が1人下界をながめていました。

郭子儀はその日が7月7日であるのを思い出して、
これは織女に違いないと思ったので、
礼拝して長寿と富貴を授けたまえと祈りました。

すると織女はにこやかに笑って天へ昇っていきました。

それから郭子儀はずんずん出世しました。
重病にかかっても治って、85歳まで長生きしました。
これが織女の祝福と伝えられています。


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花時計














<中国>
孝のむくい


董永(とうえい)という若者がいました。
家が貧しいので、人に雇われて父を養っていました。

やがて父は死んだのですが、とむらいをだすお金がないので、 村の金持ちに身を売って銭5千を借りてとむらいを済ませました。
その帰りに董永は1人の美しい女性と出会い、妻になってもらいました。

そして主人の家につれて帰ると、主人は「この娘がハタを織れば、董永はもう奉公しないでいい」といいました。

董永の妻はせっせとハタを織り、主人の家の門を出る時に「私は天の織女です。あなたが親孝行なのを 天帝が感心なさって、私をあなたへ送ったのです。」と言いました。

そして見る見る空へ昇って行って消えてしまいました。


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