遅すぎた「宣戦布告」

真珠湾攻撃は宣戦布告(戦争を始める際、相手の国にその旨を伝えること)なしに奇襲攻撃したということが一般的であり、教科書などでもそのような記載になっているでしょう。当時の外務省は、奇襲攻撃の30分前に宣戦布告を行うことを予定していました。ところが、現地の日本人大使が宣戦布告文書をタイプライター(今で言うとワープロのようなもの)で作成するのが大幅に遅れてしまい、結局、予定時刻に間に合わなかったからなのです

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