ルネサンス哲学

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ルネサンス哲学

ルネサンスの思想

 ルネサンスを初めて考えた人物は、フィレンツェで亡命生活を送っていた学者・詩人のフランチェスコ・ペトラルカでした。彼は、人類の歴史を三つの時代に区切って考えたのです。第一の時代は、人類の黄金期、古代ローマ・ギリシアの時代。第二の時代はローマ帝国崩壊後の中世である暗黒時代。そして、自分たちの生きる時代を新しく、すばらしい第三の時代とするために、人類の黄金期である古代ローマ・ギリシア時代を復活させようと考えたのです。彼の考えは多くの支持を集め、世界を180度変えてしまう大改革、ルネサンスへと発展するのです。
 ルネサンスとは、イタリア語のリナシタからきた言葉で「再生」という意味です。19世紀の歴史家ミシュレが歴史の基礎として使用したのが最初で、それからこの時代のことをルネサンスと呼ぶようになりました。そして、この「再生」という考え方は、すべてルネサンスの中心的テーマでした。

ルネサンスの発端

 ルネサンス以前、ヨーロッパ各地は腐敗したキリスト教会の規則にしばられ、人々はなんとかしてキリスト教から逃げ出したいと考えていました。その根本はヒューマニズム(人間を中心とする考え方)にありました。この新しく登場した「人間精神の革新運動=ウマネジモ」(英語でヒューマニズム、フランス語でユマ二スム、日本語で人文主義)を目指す運動をルネサンス(Renaissance)、ルネサンスの支持者をウマニスタといっています。そして、一般の人々が主役の共和制都市国家を創り始めていきました。
 教会も、それまでの「神と人間との出会いの場」から「人間と人間との出会いの場」へと変わっていきました。そして、この流れが都市計画へと向かいました。これが皆さんもご存じの芸術ルネサンスへと向かいました。
 見たい、知りたい、分かりたいという欲望、つまり「好奇心」がルネサンスの原動力となったのです。
 そして、こうした運動を続けていくためには、この運動を理解し守ってくれる保護者が必要になりました。その役目をパトロネージ、その役目を行った人をパトロンと呼んでいます。カトリック教会は最大のパトロンだったのですが、教会の芸術は「金も出すが口も出す」というものだったのです。その点、メディチ家ら裕福な商人達は「金は出すが口は出さない」ことで、芸術家が思う通りの作品を創る上でとても重要なパトロンになりました。そして、次々と天才芸術家が登場し、フィレンツェは芸術の都となっていきました。
 ただ、絵画や彫刻、建築物といった芸術の分野でのみルネサンスがおこったと思われていますが、領域は広く、政治や経済にも大きな影響をあたえました。人間や自然そのものに関心を向け、解剖学、動植物学、水力学、地質学などの研究も生み出されていきました。

世界への影響

 ルネサンスは、王国の文化としてフィレンツェから始まり、「南イタリア、ヴェネツィア、ポー河流域、ナポリ、フェラーラ、マントヴァ、パドヴァ、ミラノ」へと広がっていきました。やがてルネサンスはイタリア全土へ広がり、各地方の今までの文化に影響を与え、多くの表現方法を創造して行くことになりました。そして、ルネサンスの動きはあっという間に全ヨーロッパに広がっていきました。
ルネサンスが、まずイタリアで始まった理由としては次のようなことがあります。

(1) 政治体制が弱い。階級のある社会制度が弱く、分裂していた。
(2) 経済的な発展が大きい。十字軍以後、インドとの貿易によって都市が発展し、市民の活動が盛んであったこと。
(3) 文化的な伝統。古代ローマの遺跡などが多く残っていたこと。
(4) ビザンツ(昔の国)の学者達がイタリアに移住してきて、ギリシア文化が伝えられたこと。
(5) 十字軍遠征、インドとの貿易、ビザンツの学者達の移住によりいイスラムの文化が伝えられたこと。
(6) フィレンツェのメディチ家やローマ教皇が学者や芸術家を保護したこと。

などがあげられます。
 わずか30年程の短い期間ですが、古代ローマ・ギリシアに並ぶ芸術とみなされています。多くの優れた芸術家が登場し、世界中の文化を変えてしまいました。そして、このルネサンス哲学が後の大航海時代と深く結びついていきます。

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