|
平安時代後期 浄土教庭園平安時代中期(10世紀)以後、仏教は国家的なものから私的なものに変わり、貴族の私寺が増えていきました。住宅の中に御堂を建て、また仏寺が別荘としての機能も果たしていたのです。11世紀から12世紀を通じて時代の風潮が形成され、仏教世界観を表現した池泉回遊式庭園が特徴の浄土式庭園がつくられました。 原始古代の人々は、石や水を神が宿るものとして崇拝していました。石は永遠性のシンボルでもあり、水は生命の源であり、またすべての物を洗い清めることから、俗世間の邪悪から神聖の地を区画する手段として用いられました。 神域に蓮池をめぐらしたり、池の中島とその先の対岸を神域としたのです。すなわち、この世とあの世を分ける「三途の川」であり、あの世を「彼岸」と呼び、海や川である水がこの世との間に形成されていると、信じられていました。 日の沈む西方に阿弥陀如来の極楽浄土を、日が昇る東方に薬師如来の浄瑠璃世界をみるという考え方は、浄土教の基本的な理念です。太陽は西に沈む、いかし一夜明ければふたたび新しく東から昇る。いったん没したものが確実に新しく生まれ変わってくる。西方にこそすばらしい未来の入り口がある。そのすばらしい世界での再生を念じて往く。極楽往生とはそういうことなのです。 こうした極楽往生を庭園で表すことにより、眼の前に極楽浄土の世界をつくろうとしたのです。 この形式の伽藍(がらん)配置には池の占めるウェイトが非常に大きく、これは極楽浄土の黄金池を意味しています。参拝者は南門をくぐって大池に架かった反り橋を渡り、中島を経て御堂に達するようになっていました。中島も蓬莱島から、極楽浄土における舞楽会などの舞台となり、中島に渡された橋は現実世界から極楽浄土へ渡る橋となったのです。 |
京都 金閣寺 画像提供 高画質壁紙写真集無料壁紙 |