ブルボン王朝の始まり



ユグノー戦争(1562〜98)〔フランスの宗教戦争、有力貴族の王権をめぐる政治闘争が絡んだ内乱〕を終わらせたのはブルボン王朝の創始者アンリ4世でした。 フランスはカトリック教徒が多い国だったので自身はカルバン派でユグノー戦争で指導者であったアンリ4世は即位後カトリックに改宗し国内での反発を避けた。カルバン派からは裏切り者と恨みを買うがその代わりに、ナントの勅令を発布し信仰の自由を認めた。



◇ユグノー:フランスのカルバン派の呼称。同盟者の意味

アンリ4世の後を継いだルイ13世は、宰相のリシュリューを使い王権の強大化に勤めた。
三部会招集停止(1614年に招集、15年に解散。以後1789年の革命前夜まで開催されなかった。)
高等法院(フランスの最高司法機関)の弾圧

◇アレクサンドル=デュマの大作『三銃士』はこの時期を描いた



ルイ13世の子ルイ14世が幼少(9歳)で即位。宰相のマザランが祭事の主導権を握り、貴族から権利を次々と奪い王権の強化を進めたため、反王派貴族の反乱、フロンドの反乱が起こった。
これが国王側に鎮圧されると、フランス貴族は無力化し、国王の権力はいよいよ強大化された。
1661年親政開始(ルイ14世 23歳)
経済対策では蔵相コルベールを登用、海外貿易による 重商主義対策(コルベニズム)を進めた。国の強さは金を持っていることだと考えたためである。
ナントの勅令を廃止(カルバン派の弾圧)→裕福な商工業者にカルバン派が多かったためユグノーたちがオランダへ逃れ、17世紀フランスは経済的にイギリスに遅れをとる羽目になった。
ヴェルサイユ宮殿を建設し、華やかなヨーロッパ社交界の中心となる。 一般にヨーロッパ遺族といって連想させるファッションを確立したのもルイ14世である。宮廷内にサロンをつくり芸術、学問を奨励。
◇貴族のカツラは若禿ったルイ13世が最初にかぶり出したものである。


スペイン継承戦争(1701〜13) スペイン王家の断絶に、ルイ14世が孫のフェリペの継承権を主張し、オーストリア、イギリス、オランダを敵として争った戦争。
フランスは孤立して苦戦、植民地での戦いでも劣勢がつづき、ユトレヒト条約で締結。スペイン王を認められたかわりに、フランス国外の領土を削り取られる結果となった。


◇フェリペ(フィリップ)5世(1683〜1746)
ルイ14世の孫。スペイン=ブルボン朝の祖

◇ユトレヒト条約(1713)
スペイン継承戦争の講和条約。フェリペ5世のスペイン王位継承を承認するが、フランスとスペインの合邦は永久に禁止。両国の海外領土の多くをイギリスに割譲するという内容。
ジブラルタル・ミノルカ島(スペイン→イギリス)
ハドソン湾地域(フランス→イギリス)





その後のフランス フランス革命