ハンス・アクセル・フォン・フェルセン

Hans Axel dy von Fersen







【フィルセン伯爵】(1755年9月4日 - 1810年6月20日)
スウェーデンの名門貴族で王室顧問であるフレデリック・アクセル・フォン・フェルセン侯爵の子。
フェルセンとマリー・アントワネットは恋愛関係にあったとされています。
事実、フェルセンは結婚話を受け入れようとせず、マリー・アントワネット一人だけを愛しました。


マリーとの出会いは仮装舞踏会でした。同い年の二人は初めてあったとは思えないほど意気投合します。
ルイ16世が即位するとそれに伴ってフランス王妃となったマリーに悪いうわさが立つことを恐れスェーデンに帰国します。
そして、1778年パリに戻りマリーと再会し、マリーはフェルセンをしばしば宮殿へ招きましたが、フェルセンは王妃への思いを断ち切るため1780年、アメリカ独立戦争(1775〜1783)にフランス派遣軍の副官として身を投じました。
ヴァレンヌ逃亡事件の時、年密な計画を立て国王一家を導いたのも彼でした。そして国王一家が幽閉された時にも、彼はなんとか助けようと惜しみない努力をしましたが、徒労に終わってしまいます。
フランス革命後は母国スェーデンに帰り、新政府に加わるなど外交使節として活躍していましたが、皇太子暗殺事件の容疑者とされ皇太子葬儀の日(1810年6月20日)暗殺されました。