お雛様・お内裏様(おひなさま・おだいりさま)

『庶民が夢見た夫婦像』

 

雛壇の一番上に飾ってある2対の人形。


歴史的にはこの2対だけで『お雛様』が成立します。
私たちから向かって左側に位置するのは一般的に『お内裏様』と呼ばれる男雛。
反対に、向かって右側に位置しているのは『お雛様』と呼ばれている女雛です。

男雛の名前の由来ともなっている『内裏』という言葉は、
本来『天皇の住居』という意味を持っていますが…
『お内裏様』と『お雛様』は天皇の夫妻をかたどったものではありません。
高貴な夫婦を象徴した人形』なのです。
本来お雛様というものは、江戸時代に皇族や公家の生活に憧れた武家により作られたものです。

しかし、憧れは所詮憧れ。

武家が皇族や公家が着ている装束など知る術もなく、わかることといえば皇族や公家の呼び方だけ…。
『衣装は自分たちで考えた独特なものであっても、せめて呼び名だけは皇族のものを使いたい!!』
という熱い心から人形に『お内裏様』という高貴な呼び名がつけられたのです。

例外に、京都の公家によって作られた雛人形だけは貴族の正式な装束を着ています。
しかし、いくら公家に作られたからといって人形は人形…
最高位の礼服である束帯を人形に着せるわけにはいかない…ということで、
男雛には略礼服の衣冠以下である『直衣(位の高い平服)』や『狩衣(実用的な)』を着せていました。
女雛には正装である十二単を着せていましたが、
こちらも男雛と同様に平服の『緋の袴(ひのはかま)』と『小袿(こうちぎ)』も着せていました。

今までの話を総合すると『京都には正装を着た雛人形があるのに、
どうして庶民や武家には皇族・公家の衣装が浸透しなかったのだろうか??
京都の庶民に広がれば一気に全国で正装を着た雛人形が作られたはず…』という矛盾が出てきてしまいます。

しかしこの矛盾の答えは簡単です。
『京都で作られた雛人形は公家のために!!作られたものです。
つまり庶民には手が届かないような最高級の人形なのです。
また当時の公家の数は庶民に比べればゼロに等しいのです。
よって、一般の市場にでることがなかったのです。』