左近の桜・右近の橘(さこんのさくら・うこんのたちばな)

 

この二つは、京都の内裏(だいり)の中心に建ち儀式を行う『紫宸院(ししんいん)』の庭に植えられていたものを指しています。


本来紫宸院の庭には梅と橘が植えられていました。
梅と橘は共に中国から伝えられ、早春に花を咲かせることから『春を告げるシンボル』として大切にされてきました。
また共に実をつけることから『実を結ぶ木』としても愛されてきました。


では、なぜ梅から桜に変わったのでしょうか?
この答えには960年に起こった紫宸院の火事が挙げられます。
この火事はかなりの大規模だったと予想されていて、紫宸院はもちろんのこと庭に植えられていた梅と橘も燃えつくしてしまいました。
時は流れ紫宸院再建の際、重明親王の庭に植えられていた桜を移植したのです。


ここから左近の梅は左近の桜に変わったのでした。