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天地の創造

 聖書の一番最初の言葉は、「初めに、神は天地を創造された」である。天地創造以前には、混沌とした地が水に覆われ、闇の中にあって、神の霊が水の面を動いていた。今の世界とは似ても似つかないものである。そして、神が「光あれ。」というと光があった。そして次々と神はたった6日間で昼と夜、天と地、海と植物、天体、鳥と魚、動物と人を創造し、7日目には安息に入った。
 さて、神は自分にかたどって塵(アダマ)で人(アダム)を形作り、その鼻に命の息を吹きいれ、人を創造した。これがアダムの名の由来である。人が神にかたどって創造されたのは、人間が神の愛を信じ、互いに愛し合う存在としてのためであった。この「創造」では、わたしたち人間の位置が、神や世界との関わりにおいて語られている。人間は、神にかたどられ、神に似せて造られ、しかもすべての生き物を治めるように命じられているのである。しかし、実際はどうだろうか。
 神が天地を創造しなければ、昼も夜も、天も地も、海も植物も、太陽や月も、鳥も魚も、動物も存在しなかったのである。もちろん、私たちもこの世界にはいない。神が創造したもののすべては、神の思うように存在している。しかし、人だけは例外なのである。神が造られた、平衡を保っていた世界は、現在人によって壊されている。さらに、人は悪を企む心を生まれつきもっているのである。
 昼と夜が一度でも逆転したことがあっただろうか。天と地が混ざったことなどあっただろうか。海がなくなったことがあっただろうか。他のものにおいても同じことが言える。人が関与しない内で、これらのものが神にそむいたことがあっただろうか。答えは否である。人だけが、神にそむくのである。このサイトで紹介している話の中で、人が悪くなかった話は見当たらない。

 現在、地球温暖化や動物の絶滅などが問題となっている。ほかにも、人による問題がたくさん起こっている。自分たちだけではなく、世界までも巻き込んだ人間の自己中心的考えは、この先どこまでいくのだろうか。自らの住む地球までも壊して、その先になにがあるのだろうか。
 そして、私たちには何ができるだろう。私たち人は神の背くたびに罰を与えられてきた。少しでも、世界を守ることに貢献できることは何だろうか。私たちはそれを考え、実行していかなければならないと思う。

written by カンカン
referenced by 新編 旧約聖書の教え―キリストへの出発―、わたしたちの旧約聖書