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バベルの塔

 このお話は、人が神に抗う物語である。最初の時点で、人々の言葉は世界共通であり、何か問題があろうとも、まだ人と人との基本的なコミュニケーションが成立していたのである。

 しかし、人々は高い高い、天まで届く塔を作ろうと決意したのである。より頑丈になるように、と石の代わりにレンガを使用し、しっくいの代わりにアルファルトを使用している。彼らがどれだけ本気で作ろうとしたかが伺い見ることができる。聖書によると、彼らがこのような塔を作ろうとした理由は、ただ、有名になりたかっただけ、とあるが、神はそれを許さなかった。何故だろうか。

 彼らは『天』まで届く塔を作ろうとした。『天』とは、神の領域を示す語で、彼らは神と同等の位置に立とうとしたのである。そして神はお怒りになり、彼らの言葉を混乱させ、塔の建設を中止させたのである。

 そして混乱、を意味するバラルという言葉から、バベルという名の町ができたのである。


 ここで問題となったのは、人間の≪自己神格化≫という精神である。これは、人を神と同等の立場に立とうとする、人の精神である。神は、人の傲慢さを許しては置けなかった。もし、神がそれを許したとして、人が神と同等の位置に立ったとしよう。何が起こりうるだろうか。 決して良いものは起こりえないと思う。人は傲慢だし、ずるいし、悪さをたくらむ生き物だ。神はそれで心を痛め、洪水のような出来事を起こしたのではなかったか。しかし、ノアと契約している以上、再び洪水を起こすこともできなかった。神は人との約束を守ったのである。

 しかし、人間はどうだろうか。蛇の誘惑の話では、彼らは神との約束を守らなかった。約束を守らないことで、知識を得たが、エデンの園から追放される、という事態に陥ってい る。神は人との約束を守るのに、人は守らないのである。その、人、が神と同等になったとして、世界はどうなるだろうか。その先にあるのは破滅だけである。

 神は彼らの言語を混乱させることで、塔の建設を中止させた。さらに、人々を世界に散らせた。こうして、人と人とのコミュニケーションは断絶してしまったのである。人の傲慢な態度が、結局は自分たちを困らせることになってしまったのである。


 この話を通して、人の傲慢な態度は自らを苦しめ、決して良い方向には向かわない、ということを学んで欲しい。実際にそうではないだろうか。傲慢に振舞う人が、幸せそうに見えるだろうか。束の間の幸せは垣間見ることができるかもしれないが、決して持続的ではないだろう。

 決して自分を驕らず、今を精一杯生きることが、私たちにできることではないだろうか。偉いことをしなければならない、というわけではない。ただ、正直に生きるだけで、何かが変わるのではないだろうか。

written by サャ
referenced by なし