国立歴史民俗博物館
11月14日、国立歴史民俗博物館にて開催されていた「ジェンダーの日本史」という企画展示を学校の張り紙でしり、メンバーの野村、小林、高橋の三人で行ってきました。
平安時代になると、 社会が男性中心となり、 家父長的な家が貴族階層で 成立するにともない女性差別観が立ち現れ、
中世にかけて、 女性は男性より罪深いという
9世紀頃に官尼·尼寺が廃止され、なくなりました。
また、880(元慶4)年には、奈良の西隆尼寺の尼僧たちに、 西大寺僧侶の法衣の洗濯が命じられました。
10世紀頃になると「五障」にかかわる文言が史料に現れます。
12世紀頃には「女人結界」という思想が広まりました。
9世紀に生まれた月経の種れという意識が、 女性自体 が不浄であり、機れた罪業深い女性が足を踏み入れる と神が怒るという考えを生みました。
それでも、 女性が往生·成仏できないと説く教えは日本にはなく、 多く の教えが女性も往生成仏できるとしました。
ただしそれは、 「女は非常に罪 深いが、○○にすがれば往生・成仏できる」とするもので、
女性が往 生成仏できるという女人教済論は、女性は男性よりも罪深いという女人罪業観と一体だったのでした。
中世の仏教は濃厚なジェンダー格差を帯びており、戦国時代には支配者層にとどまらず民衆へと広がっていきました。
また「職人歌合」などでは、 働く男女はいずれも「職人」 として描かれましたが、
近世になると「職人」 から女 性が排除され、女性が携わるわずかな職種については、
「女職人鑑」のように 「女」 というジェンダー記号が付されるよ うになっていきました。
近世の改治空間である将軍、大名の居城は、表と奥に区分され、女性は奥に閉じ込められてきたとしていたのがこ れまでの研究でした。
しかし、近年、奥で働く男性役人や、将軍・大名の妻、奥女中の政治的権能が明らかになっ てきました。
そして、そのような権能を否定し、政治の場から女性の排除を決定づけたのは、明治憲法体制でした。
職業としての売春が未成立であった古代社会を 経て、中世には、芸能と売春を家業とする遊女の家が成立しました。
近世には、 人身売買による売春を幕府 が公認する体制が作られ、全国の津々浦々に買売春が広がりました。
紡績工場、鉱山、コンピュータ産業などの労働現場において、 ジェンダーはどのような影響を及ぼしてきたのでしょうか。
近現代の女性労働の実態、 その改善のために努力したアメリカ人女性 と日本の女性公務員たちの姿などを通して、私たちは考えていこうと思います。