第三章  偉人が考える偽善



先生
先生

では、私たちの人生の先輩ともいえる様々な偉人たちの"偽善への考え方"を見てみましょうか。



武林さん
武林さん

偽善への追及は昔の人たちもしていたのね!気になる!



先生
先生

そういうと思ってまとめておきました。例の絵も参考にしてみてくださいね。
最初の二人は日本人、後の四人は海外の偉人です。



中野好夫(なかやまよしお) 評論家・文学者
1949年の「悪人礼賛」というコラムで偽善を讃えている。
主張:
自分はいいことをしていると信じて疑わない善意の善人を批判するために、偽善者や悪人を讃えた。
悪人や偽善者は悪いことをしている自覚があるため、慎重に付き合えば敵対しないが、善意の善人は自分と考えが違えば悪と見なし、絶対に敵対し卑怯な手を使ってくる。
だから、善意の善人はある意味で一番悪人である。
福田貞良(ふくださだよし) 哲学者
1954年雑誌の「偽善者礼讃」に中野さんと同じく擁護している。
主張:
偽善者は悪人ではない。単に、「オモテとウラとでは違ったところのある人間にすぎない。」(1954年,偽善者礼讃より引用)と擁護。
主張や主義がブレるのは偽善者の証拠だとしたら、主張や主義がずっと同じ人なんていないから、みんな偽善者。
みんな悪人のわけではないから、偽善は悪人ではない。
ただのオモテとウラがあるだけなんだ。





パオロ・マッツァリーノ 戯作者
主張:
「しない善よりする偽善、でも、やりすぎるのは独善だ」
どんなに努力しても完璧な善人にはなれない。
だから、自分の気が向いた時に善行すればいい。
偽善であっても、結果的に誰も困ってないのなら良い。
逆に誰かが困っているのなら、それは間違った善。
イマヌエル・カント 哲学者
主張:
偽善とは心にもない義務への従順を装うだけの行為
フリードリヒ・ヘーゲル 哲学者
主張:
完璧な正しさなど存在しないのに自分が正しいと確信してなにかをすることが偽善

先生
先生

どうでしたか?ひとりひとり考え方が違って面白かったでしょう?



武林さん
武林さん

もっと細かい違いだと思っていたけど、こんなに根本から考え方が違うなんて驚きました!
なぜこんなにも考え方が変わったのかなぁ?国籍の違い?



先生
先生

さあどうでしょう?
次は身近な人に聞いてみましょう!










偽善