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原田佐之助ハラダサノスケ


新撰組十番隊隊長

1840年〜1868年7月6日



*生まれ&新撰組
伊予松山藩300石取りの武家に仕える若党であったが、脱藩して江戸に上り、近藤の道場、試衛館シエイカンの門を叩いた。
種田宝蔵院流タネダホウゾウインリュウの槍の使い手であり、芹沢鴨芹沢鴨の暗殺、池田屋事変、禁門の変、油小路の伊藤一派の暗殺事件など、新撰組の主要な闘争にはほぼ参加している。
またかなりの美少年であり、いつも女の子に追いかけられ、短気で傲慢で奇行が多かったため、近藤以外は手におえなかったともいう。
一時は、坂本龍馬暗殺の下手人として疑われたが結局は無実であったという話もある。
1865年には町人の娘、まさを妻とし、翌年には長男が生まれ、ついで次男も生まれた。
原田は愛妻家であったという説も存在している。



*最後
鳥羽・伏見トバ・フシミの戦いで敗れ、一度江戸へ逃走。
江戸で近藤が旗揚げした甲陽鎮部隊コウヨウチンブタイに加わり、甲州勝沼に出陣するが敗れ、再び江戸へ戻る。
その後永倉と共に靖兵隊セイヘイタイを組織し、会津藩上屋敷を本拠とし、江戸での決戦を叫んだ。
しかし江戸城は明け渡しとなり、会津を目指したが、途中妻と子に会いたいがために逃走するが、江戸にて彰義隊の戦いに引き込まれ、そこで銃弾を受け江戸本所の旗本、神保山城守邸で死去。
享年は29歳であった。


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