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私達の高校がある函館市。


そこは日米和親条約によって開かれた2つの港のうちの1つである古くからの港町であり、
現在は観光地としてとても人気があり、歴史の情緒がただよう街であります。

そしてここは新撰組終焉の地でもあり、故に新撰組に関する場所がたくさん存在します。


今回このページを作るにあたってその中でも特に新撰組と関係の深い場所に実際に出向いてみました!

その様子について自分達なりに写真付きでまとめてみたのでよかったら参考&函館新撰組観光にでも役立ててください。

〜土方歳三最後の地〜 〜称名寺〜 〜碧血碑〜

〜土方歳三最後の地〜

土方歳三が死んだ場所と言うのは実ははっきりとはしていず、諸説ある。
ですがその中で有力な説とされているのがこの写真の一本木関門。
土方はこの門を背にし「吾、この柵にありて退く者を斬る」と叫び、隊士の士気を煽り新政府軍を押しかえすことに成功。
しかしやがて、土方はこの門を守る乱戦の中で、馬上で狙撃され戦死したとされている。
この説がもっとも有力とされていますが、中には降伏に反対する土方を快く思わなかった味方に暗殺されたという説も存在する。
ちなみに一本木関門は当時のものではなく、複製である。








土方歳三最後之地碑。
この碑には土方と遺影と、沢山の備え物があり土方を偲ぶ人の多さが伺えました。
また私達が取材に行った時も多くの方が、土方を思いこの碑を訪れていました。











参拝してきました。















この碑は函館駅前付近の「函館福祉センター」の中にある公園にあります。
















〜称名寺(ショウミョウジ)〜

函館山のふもとには多くの神社が存在しているが、その中の一つ、称名寺には土方歳三と新撰組隊士の墓碑がある。
この碑は当時のものではなく、称名寺は3度もの火災にあっており、碑はその時に燃えてしまったため、現在の碑は昭和48年に有志によって作られたものである。
土方のほかには4名の隊士の名前が刻まれており、彼らは元々この寺の墓地に石碑があったが、昭和29年の台風に壊されたためこの碑に名前が刻まれた。
宗派は浄土真宗。
ちなみにこの称名寺には新撰組以外に関する主要な歴史的建造物もいくつか存在している。






土方歳三と新撰組隊士の墓碑。
けして大きなものではないが、独特の情緒が漂う、歴史を感じさせるものでした。
ここにも一本木関門同様多くの観光客と、お供えものがありました。




















再び土方さんと新撰組隊士を思い参拝。















顧問の先生も一緒に参拝。















墓碑の向かって左側には碑の説明書きが。
右側には写真のようなガラス張りのケースがあり、中には折鶴や新撰組の扇子。
そしてこの地を訪れた人のためのノートがあります。
中には日本全国の新撰組ファンのメッセージが書かれていて、読んでいてとても気持ちのいいものでした。
もし称名寺を訪れたならこのノートに一言どうぞ。











〜碧血碑(ヘッケツヒ)〜

碧血碑とは函館山に1875年に建立された、土方歳三や中島三郎助や新撰組の隊士達など、特に函館戦争に関与した旧幕府軍約800名を祭った慰霊碑である。
毎年5月には慰霊祭も行われ、この碑に多くの人が訪れる。
「碧血碑」という名の由来は中国故事の「忠義を貫いて死んだ者の血は地中で三年経てば碧玉となる」という伝説がもとになっている。

















碧血碑の裏側には写真のように「明治辰巳実有此事立石山上叺表歔志」と刻まれており、「明治辰巳、実に此事有り、石を山上に立てて以て厥の志を表す」と読む。
現代語に訳すと「明治2年、此の事は実際にありました。山上に石を建てて悲しみの気持ちを表します」となる。











函館山を車で少し登り、少し歩いた所、車ではいけない山の中に碧血碑は静かにたたずんでいます。
周りの自然とも調和し、なんとも言えない静寂の空気を感じることができます。
山の中にも関わらず、私達が取材に行ったときも他の観光客のかたも居ました。
ちなみにここでの参拝の写真はありません(笑)























このページは【第13回think quest JAPAN】に参加しています。